倭姫伝説ー姿見の池

2008年03月27日 | 神社

「鏡池」とも呼ばれていたようです。



水屋神報 160号(平成16年2月10日発行)

倭姫伝説 姿見の池           宮  司

姿見の池

池の近辺



 『倭姫命世紀』によれば、垂仁天皇二十二年、天照大神がご鎮座される地を求めて伊勢に入られた倭姫命がこの地を旅したとき、お迎えした飯高氏の族長、乙加豆知命(おとかずちのみこと)にこの地の国名を聞かれ、乙加豆知命が「飯高国」と申し上げると、「飯高(ご飯が茶椀に高々と盛られている)とは貴い」とおよろこびになったといいます。

 ところで宇栗子の深田林平さんから倭姫命が伊勢巡幸の際、作滝村の滝野神社に泊まられ(この神社はその昔高宮ともいわれ、天照大神と乙加豆知命が祀られていた。しかし明治四十四年に水屋神社に合祀され、現在では神社の跡地は公園になっている)、近くの池で自分の姿をお写しになり化粧をされた、という「姿見の池」があるはずだということを伺った。そこで私は深田さん、村瀬登遷宮委員長と共に村瀬正次郎作滝区長の案内によってその場所へ行ってみることにしました。

 そこは櫛田川のほとりにあり、淵上和俊氏宅の裏手で、途中の道はいささか荒れてはいたが三人が思わず驚嘆の声を上げるほどの絶景地でした。池の傍にはまた完全な湧出(ゆで)=通称は「温湯(ぬくゆ)と言う」も残り、おいしい湧き水が滔々と流れ出しています。倭姫命がお化粧されたのもなるほどと頷けるわけです。是非この場所を整備し、標柱もしくは石碑を建てたいものです。




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作滝の「お馬さんの池」 飯高町が名所に

「倭姫命が姿見」と地元 来年度、景勝コースに予算

飯南郡飯高町作滝の櫛田川河畔に、岩"のくぼみに水のたまった幅約5メートルの“池"がある。地元の人が「お馬さんの池」と呼ぷこの池が、神話に出てくる倭姫命〔やまとひめのみこと〕が化粧をしたという「姿児の池.ではないかと.活題になっている。地元の要望を受け同、町は同町宮前の道の駅・飯高駅を中心に景勝地を巡る周遊コースに、この池を組み込む構想を練っている,町の2004年度の一般会計当初予算に、一連の事業全体で450万円が計上されており.同年度中にはコースが完成する見通しだ。



姿見の池を下見する久保宮司(手前〕と村瀬町議=飯高町作滝


地元の人は普段.この池のことを「お馬さんの池と呼び,「姿見の池」とは呼ばない。しかし
「倭姫命が馬に乗ったままで姿を映した」「池の底に馬のひづめの跡がある」という言い伝えはある、村瀬正治郎・作滝区長(56)は小学生のころ、水を抜き取ろうとして近所のおばあさんにこの池の水は抜いたらあかんのや」としかられたという。

また同町赤桶の無職・深田林平さん(86)は、70年ほど前に県内の古いいわれを書いた本に『姿見の池』とあり、倭姫命が作滝にあった滝野神社に泊まられた時、近くの池で自分の姿を映し化粧をしたと書いてあった。村長だった尾鍋藤四郎さんに場所を尋ねると、ここだと教えてくれた」と言う。今年1月に深田さんが、赤桶の水屋神社(久保憲一宮司)の中遷宮委員長を務める村瀬登町議に話し,村瀬町議が久保宮司に話し、観光名所にしようという話が盛リ上がった。

村瀬町議と村瀬区長から要望を受けた町は、3年前から景観整備事業と四季の花咲くまちづくり事業で.町内全域に桜やモミジなどの広葉樹を植えており.その一環で飯高駅周辺の周遊コースも整えている。

このコースは旧和歌山街道の道標や、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天照尺神(あまてらすおおみかみ)が出会って「あら珍しい所で」と言ったという珍峠(めずらしとうげ)、その2人の神が大きな石を川に投げて伊勢の国と大和の国の国境にしたという国分け伝説の「つぶて石」、その周辺の峡谷「香肌長瀞(ながろ)」」、大クスのある水屋神社などを巡る約6キロ。水屋神社から近い姿見の池も加えることにした。

久保宮司は.「思わず息を飲むほどの絶景で、池の傍らには湧出(ゆで)、通称・温湯(ぬくゆ)というわき水もあり、倭姫が化粧ざれたのもうなづける」と話している。
  

タ刊三重  平成16年3月6日より

 

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