朝、お題をみて、速攻書いた前回。
しばらくたって、追加で考えたので、それを書きます。
あくまで、社会的にどうこうではなく、
当事者間で「許せる」という観点だと、
器のレベルかな、と思いました。
他人からすればどうよ、ってことでも、
Bという人のワガママがどんなに理不尽だったとしても、
Aという人の器が大きくて、それを許容できるなら、
「許せる」
と、考えたところで、思い出したのが、
しばらく前にみた「碁盤切り」という映画。
主人公の娘を、借金のカタに遊郭へ入れるまでした商人。
(主人公の名前はもう忘れた)
ところが、実際は商人の方が勘違いしてただけ、
主人公に斬り捨てられても仕方ない状態だったのに、
主人公は「罪を憎んで人を憎まず」の精神で、彼らを許す。
これはワガママというのとは違うけど、
「許せる」というのは器の大きさだったり、
その人の経験で「許そう」と思えたりするという意味で、思い出した。
ただ、ワガママ、というのは、
相手にこれ見よがしに自分の我を通すこと。
けど、自分の我だとしても、
公共の利益のために行動する場合は、ワガママじゃないし。
体の悪い人が、優先席に座れないのを、
まったく関係ない第三者が「譲ってあげて」というのは、
やさしさであって、ワガママとは言わない。
(関係ねえよ、と言われるかもしれないけど)
う~ん、まあこのお題の意図するとことはずれてきてるかな。
ただ、「大人の」というからには、
分別ついてるのに、わざわざワガママ言う、ってあたりがもう
許せないでしょ。
仕事のシフト代わってもらう、とかは、
仕方ないことであってワガママではないし、
、、、、、。
あ、ひとつ思い出しました!
こないだ、頼まれた「ワガママ」
「この暑さ、どうにかしてくんない?」
って。
いや、そんなこと言われましても。
で、私こう答えた。
「私を神様にしてくれるなら、叶えてあげる」
どっちも、ワガママに相手に甘えましたね(笑)
ユーモアのある、「ワガママ」が許せる大人のワガママ、かな。