芸術や表現活動の捉え方には、2種類のパターンがあります。

 

①1つは、率直な思いや考えを、メッセージや言葉や形で率直に表現されたものとしての捉え方。

 

②もう一つは、劇や物語や役を演じているものとしての捉え方。

 

 

①は、メッセージソングや、考えや研究していること等をまとめた書籍などに多い捉え方かと思います。

 

 

②は、聖書の中のあらゆる登場人物もそうですし、ドラマティックな物語のすべての登場人物や、コントのボケ役ツッコミ役もそうですし、あらゆる表現や芸術に存在する捉え方かと思います。

特に、表現を娯楽として観る場合に多いかと思います。

または、宗教的な物語のような道徳書や、儀式的な表現のようなところでもそうだと思います。

 

 

(これらの思考回路についての私の考え方は、私の活動理念にも、別の言葉で表しています。)

 

 

ジョンレノンのイマジンは、①と②、そのどちらでもありながら、1体となっているのです。

 

歌詞の中にある、「あなたは私を夢想家というかもしれない」という内容。

 

当初、人によっては、物語(空想)の登場人物の一人としてジョンレノンが歌っているような捉え方でしかなかったかもしれません。

 

ですが、ジョンレノンさんは、あくまで率直な本心をメッセージソングにしただけであり、大勢のリスナーが率直な現実的内容として共感することが出来たという現実が、この曲の偉大さを語っています。

 

 

もしかすると、空想の世界から、現実の世界に語りかける役のように、ジョンレノンを捉え、この曲をその物語の1場面として捉えることが出来たかもしれません。

 

しかし、実際は、その逆でした。

 

ジョンレノンが居る現実の世界から、国や宗教や財産を隔りとし、戦争を手放すことが出来ない人々へ(戦争を誇らしげに肯定している人たちへ)、「想像してごらん、空想ではなく現実を」と語っていたのだと私は思います。

 

 

「想像してごらん、空想ではなく現実を」って、私がこの文章で作ってしまった言葉ですが、この逆説的な言葉こそ、ジョンレノンのイマジンに込められた歌詞の意味の解釈ではないかと、私は思います。

(ジョンレノンの人生が偶然生み出した大きなトリックですね。)

 

 

 

つまり、イマジンは、まるで空想世界のようなリアクションによって表現された、最も現実的な芸術作品であると、私は思っています。

 

 

いつも、ブログを読んで下さって有り難うございます。

感謝を込めて。。。