小さな命家族

 

現在は、29歳の3児の母で

鬱病の持ちの、障害年金者。

 

令和6年の10月に、保険会社の就職の為に。

10月から12月の試験まで、研修期間の受験勉強。

合格の点数まで、勉強が苦手で…。

12月の試験まで、緊張で、必死でした。

 

必死に勉強の結果

合格

 

1月より、3カ月の研修支店で採用。

3カ月、支店で、また、研修をして。

なんと、3カ月の勉強と契約などをへて

正社員にびっくりマーク

 

その中、昔のバイト先から

手伝いの連絡が来て、ヘルプの手伝いに。

 

そこで、新しい出会いがラブラブ

 

同級生や大学生と、先輩の人生のお姉さんに。

そして。昔、仲良くしてくれた、人にも再会。

 

ヘルプから、次第にバイトになり

保険やとバイトの掛け持ちが始まった。

 

自分自身、女性だけの職場が苦手で。

半年も持たずに、退職。

 

保険やの前は、子供服の販売。

少し、ブラックな感じで、

基本2人の体制、店長なしの店舗汗

 

急遽の子供が熱でも、コロナでも

交代などを、自分で探さなきゃいけなくて。

辞めましたあせる

 

家庭環境や旦那(現在は、元旦那)と

義母との、関係せいがあまり良くなく。

元旦那に不安がつのりに、つのり。

 

令和6年5月1日に

色々と理由をつけては…。

離婚をしました。

 

自分に、経済的な補償がない為に

子供の親権は、元旦那に。

 

その中、バイト先の同級生と意気投合し

遊ぶ中の。

 

自分のこと、相手も自分の事を

払わって、会話できる仲に。

 

バイトだけになり、同級生とは

夜の遊び中や自分がバイトで

相手が休みの時は、文句言う、元旦那より

バイト終わりだし、気分転換と話しを聞いてくれる仲で。

 

省略になりますが、

本当なら、絶縁しなければならない状態に。

 

でも、お互いに

好き

 

好きが勝ち、継続。

 

9月の事、

体調不良と生理が来ない事が分かり

産婦人科に。

9週に入っていました。

 

相手は、一生は無理と言っていたのもあり

初めは、中絶の事で話を。

 

ですが、過去に4回も中絶を経験していたのと

好きな人も子供を産みたい。

子供がいれば、引き留められる。

 

でも、心の中で、中絶の怖さに勝てず

無受診のまま、臨月に。

 

気づいている人はいましたが

元旦那は、生まれるまで、気づかず。

 

3月の長男の卒園式に我慢。

 

その前に、子育て支援課に、メールで相談。

 

3月23日が予定日でしたが

前駆陣痛に悩み、25日の夜には、本陣痛に

自分で調べて、子宮口4センチ。

 

26日、時間は覚えてなく

市役所の方が、電話をくれたのですが

陣痛がひどく、会話にならず。

 

自宅まで、訪問してくれたのですが

陣痛3分置きだった為、

 

地元ですが、陣痛タクシーなどなく

破水などしたら、弁償など。

役所の人と、試行錯誤。

 

総合病院を選択、無受診の為

万が一で、救急車の選択。

 

断固拒否しながら、陣痛との闘い。

 

昔からの知っている、医院長が

私なら、と救急車の搬送に。

 

長男や次男は、自身が救急車の搬送を見て

本当に、怖いと心配で、泣いていたと言っていました。

 

病院に、向かう際、嫌ですが

義母の付き添うでした。

 

心配の言葉や無言でいて欲しかったのに

『なんで、今になるまで言わなかったの。』

と救急車の中で言われましたが。

義母自身が、原因なのは知らず。

 

病院に着き、すぐさま、医院長が

『なんで、もっと早く相談しなかったの。』

の、一言で、涙が。

 

分娩室で、内診、

『誰にも言えず、辛かったね。』

医院長の一言。

 

12時過ぎに、搬送され、子宮口は4センチのまま

進まず。

 

18時30分過ぎに、

時間が長いため、軽い促進剤を。

それからは、激痛とともに

19時59分に、3620gの元気な男の子ニコ

 

『ここまで、よく頑張った。自身の事を知っていたから

救急車の搬送を許可したんだよ。』

その言葉に、涙で、お礼を言いました。

 

それから、子供たちは

病院に来たりで、次男は、『寂しい』と泣きながら

帰宅をしました。

 

元旦那には、罪悪あるだろ?(は?馬鹿なの?心の声)

から、説教を受けました。

 

母子手帳など、国民保険だった為

元旦那には、病院代に関しては…でしたが。

 

名前を考えている時も

相手の名前を入れるなだの

本当は、俺の子じゃないの?

離婚で、レスだった奴が、何を言ってんだと思いました。

 

退院してからは、

兄達は、念願の弟が出来て

愛情満載、時には。取り合いに。

 

現在、元気一杯ウシシ

 

自身の経験でした。