後漢書 (ごかんじょ)は、中国後漢朝について書かれた歴史書。二十四史の一つ。本紀十巻、列伝八十巻、志三十巻の全百二十巻からなる紀伝体。成立は5世紀南北朝時代の南朝宋の時代で編者は范曄(はんよう、398年 - 445年)。

 

 後漢(ごかん、中国語: 東漢、拼音:Dōnghàn、25年 - 220年)は、中国の王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許昌へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と区別するため、中国では東漢と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。

 

 ◆光武帝 劉秀

 

 

 ●倭国について

 『後漢書』東夷伝の中に倭(後の日本)について記述があり、古代日本の史料になっている。この「倭条」(いわゆる「後漢書倭伝」)は、280年代成立とされる『三国志』の「魏書」東夷伝倭人条(いわゆる「魏志倭人伝」)を基にした記述とされているが、これに対して反論を唱える学者もいる。(wikipedia 後漢書及び後漢より抜粋)

 

 歴史としては三国志の前時代なのですが、范曄によって『後漢書』が編纂成立した時より、陳寿の撰による『三国志』の方が早く完成しています。

 

 通称は、後漢書東夷列伝、と呼ばれておりますが、我が国の記述に関しての正式な呼び名は、「後漢書」巻85 東夷列伝 倭条 となります。

 

 魏志倭人伝と比較すると、文字数も少なく、内容も類似している箇所が御座いますが、中には後漢書にしか書かれていないような内容も記されており、我が国の古代史を捕捉する上で重要な研究資料となっております。

 

 それでは、魏志倭人伝の項目と比較しながら考察して参りましょう。