★古より、そこの遣使が中国を詣でると皆が大夫を自称
「…自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。」
「…古より、そこの遣使が中国を詣でると皆が大夫を自称した。」
「そこの遣使」とは、つまり”邪馬台国の遣使”のことを指しています。
このことは、魏志倭人伝の最初の一文にある、
「昔は百余国、漢代には朝見する者がおり、今は使訳(通訳を連れた使節)が通じるのは三十国。」
の内容から、中国と国交がある国は三十国もあり、上記記述だけではこの中のどの国なのか分かりません。
ですから、「其使詣中國…」=「そこの遣使が中国を詣でると…」と書くことにより、当時の倭の国の中の「邪馬台国」であると限定ができるという訳です。
それが分かるのはその直後の文に、その国の特徴として、「皆自稱大夫」=「皆が大夫を自称した。」と記しています。
大夫(たいふ/だいぶ/たゆう)とは、本来古代中国における身分呼称のひとつ。
◆中国における大夫
中国の周代から春秋戦国時代にかけての身分を表す言葉で、領地を持った貴族のことであった。
◆日本における大夫
日本書紀の崇神天皇8年12月20日の条には「大夫」の文字があるが、大夫というのは律令制度における官位の呼称であって、律令制が確立される以前の崇神天皇の代に「大夫」という呼び方や官職があったわけではない。これは『日本書紀』が編纂されたときにその執筆者によって加えられた文飾であり、「大夫の身分に相当する者」すなわち今でいえば大臣や側近というほどの意味で使われたとみられる。(wikipedia大夫 より抜粋)
よってここに書かれている大夫とは、中国に遣使に来る大臣・側近クラスの人物のことです。
このことは、多数ある倭の国々の中でも、中国(この場合魏)と国交のあった有力国であるとされる邪馬台国が、すでに大臣を置くなどの律令的政治が行われていた国であったことを示しています。
つぎに、
★その道程からすれば、会稽の東冶の東にあたる
「計其道里、當在會稽、東治之東。」
「その道程からすれば、会稽の東治の東にあたる。」
ここでの解釈については、
古田武彦氏の第二章 いわゆる「共同改定」批判をご参照ください。
会稽の東冶の東と、会稽の東治の東の誤記解釈についての説明になります。
会稽は、
会稽郡(かいけい-ぐん)は中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて設置された。
揚州東部の長江下流域に設置され、六朝時代には政治、文化(六朝文化)の中心地として発展した。
その領域は時代によって変遷があるが、現在の中華人民共和国浙江省紹興市付近がその中心である。(wikipedia会稽 参照)
◆会稽東治
これが東冶(とうや)となると福建省となり、(東だと屋久島辺り)比定地候補を正しく捜索するために緯度のラインをひくと、あらビックリ、範囲内には沖縄県しかありません。
これを以て邪馬台国沖縄説なるものがあるようですが、魏志倭人伝に記載ある大半の記述に該当しないのでここでは残念ながら考察外とさせていただきます。
ここからきっちり修正を加えます。
夏に来たと推察される魏使による方角認識とされる東南に45度の修正をかけると下図のようになります。
記述を精査すると、この黄色の円の中の海に面している範囲のどこかに邪馬台国が存在するということになります。
加えて、単純に会稽の東冶と東治の記載ミスであったと仮定すれば、◎近辺の上部の赤線周辺が最有力候補地といえます。
何故ならば、会稽の東治の東端から帯方郡までが丁度12,000里余りの距離だからです。
この時点で、九州はどちらの地図にも入らないことになり、北部九州説が厳しくなります。
また、このポイントでの説明は、邪馬台国の場所を示す説明ですので、
同時に「男子無大小皆黥面文身。」以降からの記述に関しては、邪馬台国の特徴を述べていることが確定したといえます。
●Web上にみられるここの項での惑わすポイント
※web上にある「会稽の東冶の東の地図」は明らかに九州を無理矢理範囲内に入れようとした恣意的マップが多数散見されますが、狗邪韓国を起点に、角度と距離をきちんと調整すれば九州は全く入りません。
緯度は北緯30度。(九州の国土を縮小して無理矢理範囲内に入れてあるものもある)
あと、会稽郡の北部からが無理やり範囲だとする地図もNGです。それをすると日本全土が赤線の範囲に入っちゃいます。
これだと魏使が何のために邪馬台国がどの辺りにあるのかを伝えたかったのかすらわからなくなります。
北部九州をどうにかして入れたい気持ちは分かりますが(これこそ恣意の典型事例)
ただし、逆に方角修正を無くした場合のみ、会稽郡東治の北部からラインをひくと、九州南部の種子島を僅かにかすめます。
種子島邪馬台国説爆誕
残念ながら、こちらもいろいろ無理がありますので、考察外として割愛致します。
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★男性は長幼の別無く、顔と身体に刺青
Now→★古より、そこの遣使が中国を詣でると皆が大夫を自称
Now→★その道程からすれば、会稽の東冶の東にあたる
◆その風俗は淫乱ではない
◆男性は皆が頭に何も被らない、木綿を頭に巻いている。衣は横幅があり、互いを結束して連ね、簡単な縫製もない
◆婦人は髮を曲げて結び、衣は単被に作り、中央に穴を開け、頭を突き出す
★水稲、紵麻(カラムシ)の種をまき、養蚕して絹織物を紡ぐ
★細い紵(木綿の代用品)、薄絹、綿を産出する
★牛・馬・虎・豹・羊・鵲がいない
★矛、楯、木弓を用いて戦う。木弓は下が短く上が長い
★倭の地は温暖、冬や夏も生野菜を食べ、皆が裸足
★朱丹を身体に塗る
◆飲食は手で食べる
★死ねば、棺はあるが槨(かく=墓室)はなく、土で密封して塚を作る
◆死去から十余日で喪は終わるが、服喪の時は肉を食べず、喪主は哭泣し、他の人々は歌舞や飲酒をする。葬儀が終われば、家人は皆が禊をする
◆持衰(じさい)がいる
★真珠や青玉を産出する
★そこの山には丹(丹砂=水銀)がある
★樹木には、楠木、栃、樟、櫪、橿、桑、楓
◆竹には、篠、簳、桃支
★生姜、橘、椒、茗荷があるが、滋味なることを知らない
◆行動に移るときには、骨を焼いて卜占で吉凶を占う。令亀の法の如く、熱で生じた亀裂を観て兆を占う
◆会同での起居振舞に、父子男女の差別がない。人々の性癖は酒を嗜む。高貴な者への表敬を観ると、拍手を以て膝を着いての拝礼にあてている
◆一年に四季があることを知らないが、春に耕し、秋に収穫をすることを計って年紀としている
◆そこの人々は長寿で、あるいは百年、あるいは八、九十年を生きる
◆尊卑は各々に差別や序列があり、互いに臣服に足りている
★租賦を収めている
★立派な高楼があり、国には市があり、双方の有無とする物を交易し、大倭にこれを監督させている
★女王国より北は、特別に一大率を置き、諸国を検察させており、諸国はこれを畏れ憚っている
★伊都国王が使者を洛陽や帯方郡、諸韓国に派遣したり、郡使が倭国に及ぶときは、皆、港に臨んで点検照合し、文書、賜物を女王に詣でて伝送するが、間違いはあり得ない
◆応答する声は噫(いい)と言い、これで承諾を示す