「南至投馬國、水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。」
「南に投馬国に至るには水行二十日、官は彌彌、副は彌彌那利といい、五万余戸ほどか。」
さて、ここからの移動手段ですが、再び「水行」になっています。
それも「南に二十日」です。
今までのように行程距離の基準だった「里」表記ではないために今後の比定地探しが途端に難しくなります。
これにより、様々な比定地候補が出現し、邪馬台国の所在地が迷走を続けるようになります。
また、陸行の記述もないことから、次の目的地は遠方にあり、水行でしか行けないような場所へと向かったといえます。
そして魏使達は女王に会うために、一旦投馬國に立ち寄り、女王の居する都、つまり邪馬台国へと向かうことになるのです。
ここで、これまでの国を治めていた人物の名前を列記すると、
●対馬國 :大官 卑狗、副 卑奴母離
●一大國 :大官 卑狗、副 卑奴母離
●末盧國 :(記載なし)
●伊都國 :官 爾支、副 泄謨觚、柄渠觚
●奴 國 :官 兕馬觚、副 卑奴母離
●不彌國 :官 多模、副 卑奴母離
卑奴母離は「ひなもり」と読め、すなわち、夷守(ひなもり)のことであり、邪馬台国から派遣されたこの時代における国境を守護する監視人です。
また、伊都國には「世有王、皆統屬女王」=「代々王がおり、皆、女王国の統治下に属し」とあり、副官も他国とは違います。
おそらく伊都國王がこの地域(北部九州)の支配者でしたが、後に邪馬台国に帰順することになりました。
そして、古くより大陸の交易に長けていたため、邪馬台国がこの地を貿易窓口として利用していたと推測できます。
伊都國のみ副官の卑奴母離が居ないことからも、特別な扱いであったといえます。
そして投馬國へと移動しますが、この地を治める官の名前が、彌彌、副 彌彌那利です。
九州地方の官とはまた違った特色があり、異彩を放っています。
やはり距離の離れた異なる文化圏へと移動したと推測されます。
また、「可五萬餘戸」とあり、相当な大国といえます。
一般的に一戸には五人の家族が居たと推測(諸説あり)されていますので、単純に凡そ25万人程の人口だったと考えられます。
「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮、可七萬餘戸。」
「南に邪馬壹国の女王の都に至るには、水行十日、陸行一ト月。官には伊支馬があり、次を彌馬升といい、その次が彌馬獲支、その次が奴佳鞮という。七万余戸ほどか。」
投馬國から更に「南に、水行十日、陸行一ヶ月」し、ついに女王が居る「邪馬壹國」に到達します
官 伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮の四名が居たことや、人口もこれまで最大の7万戸余り(凡そ35万人?)もの人々が住んでいたとされています。
「自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有為吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。」
「自女王国より北は、その戸数、道程を簡単に記載しえたが、その余の国は遠くて険しく、詳細を得ることが出来なかった。次に斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国があり、これが女王の領域内の全部である。
その南に狗奴国があり、男性を王と為し、官には狗古智卑狗があり、不属女王に従属していない。郡より女王国に至るには一万二千余里である。」
女王国に至るまでにあった北側の国々は記載しえたとした上で、「其餘旁國遠絶、不可得詳」とあります。
「旁」…①そば、かたわら。②漢字の組み立てで、右側の部分。つくり。③広く行き渡る。
この場合、女王国に至るまでの道程にあった北側の国々の”そば”(隣の國)にあった国のことで、遠絶で立ち寄らなかったために詳細を得ることが出来なかったということです。
そして、「次有」という形で実に21ヶ国もの国々を列挙し、最後に、「…次有奴國、此女王境界所盡。」=「…奴国があり、これが女王の領域内の全部である。」としています。
更に続けて、「其南有狗奴國…」=「その南に狗奴国があり…」、「不屬女王」=「女王に従属していない」とあり、南にライバル国である狗奴國があり、男の王と、官の狗古智卑狗が居るとあります。
しかし、上記の書き方では、女王国の境界である奴國の南に狗奴國があったのか、女王国である邪馬台国の南に狗奴國があったのかこの記述の意味するニュアンスが曖昧でハッキリとはわかりません。
そして、この文章の後に、「郡より女王国に至るには一万二千余里である。」 と書かれています。
郡とは、魏志倭人伝の最初の文章に書かれている帯方郡のことですので、そこから12,000餘里(約924km~960km余)離れた場所に、女王が居する国である邪馬台国があるとしています。
ここも解釈が大きく分かれるポイントとなっていますので、つぎの項で検証致します。