モジャモジャフジコ -2ページ目

モジャモジャフジコ

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つまずく時はつまずく様になっているんですね、きっと。

避けて通れない。


痛い思いをする時は、そうなるように出来ているんじゃないかと思います。


一週間仕事を休んでいました。

体調不良になりました。

酷い状態を自分で作ってしまいました。


集合意識のせいだ、みたいな、

集合意識にやられたんだ、みたいなことを言いたい気持ちもありますが、


マァ〜そうは言いたくない。


全部自分のせいです。

イヤイヤイヤ全部自分でやったんです。

と、いうところに落ち着きたいです。


あの時、あぁすれば良かった。こうすれば良かった。

あんなことしなければ良かった。こんなことしなければ良かった。

という自責の念や後悔の念がすごくありました。


結局いつものパターンの、ビクビク怯えて、思考が先走り過ぎて、心配して不安になって邪推して、また更に思考が先走り過ぎて心配して不安になって怯えて邪推して、、、を針が振り切れる迄やってしまったんだと思います。


耐えられないストレスを耐えてしまったんですね。


ストレスだと思います。


自論ですが、病気はやっぱり100%思考のせいではないかと、、、少なくとも私の場合は、、、。そう思っています。


身体も心もガチガチだったと思います。


こんな時、私は全然食べられなくなります。

ひとさじのお湯も飲めません。

絶食もいいところ。

三日間嘔吐しました。

また少し、身体がヒョロリとしてしまいました。


鏡で身体を見ると、

特に横から見ると、

真っすぐで、硬そうで、ヒョロッと細長い。


スーパーなんかでよくゴボウが二本くらい袋に入っているのを見かけたりしますが、

昨日だったか、


『なんか、親近感湧くな。』


と、思ってしまいました。


『なんか、仲間かな?』みたいな。


『キミも不器用なのかな?』みたいな。


『どうぞ柔かく煮られておくれ。』みたいな。


自分と似ている不器用な存在を見かけると、親近感が湧いたりしませんか?

あぁ、同じだな。とか。

あなただけじゃないよ。とか。

私だってそうだよ。なんて、

何か、応援したくなる。

顔晴ってほしいと純粋に、ひたすらに思う。

それが私はゴボウちゃんでした。



そう思って、ジーンとしました。


野菜売り場で。



もしスーパーで、ゴボウを片手にしてじーっと見つめている女性がいたら、ほんの少し涙ぐんで、たたずんでいたら、それは紛れもなく私です。  


そんな私を見つけたら、どうか何も言わず、私の肩に優しく触れて、大きく頷いて下さい。

あなたに見つめられるだけで、私は癒やされます。

そして私はポロポロッと、涙をふた粒こぼすでしょう。

あなたの無条件の愛によって。 






そんなこんなで酷い状態だったのですが、四日目からは段々食べられる様になっていきました。


三日目の夜にお粥のうわずみをすすれるようになり、その後は少しずつ、徐々に回復していきました。


食べられる様になってきたら、あとは比較的回復は早いです。


その後三日目位かけて、徐々に食事をとるようにしていきました。



丁度よく出来ているのかどうか分かりませんが、

 

春分の日、私は体調は良く、仕事も休んでいたのでストレスも無く、健やかな、爽やかな気持ちで過ごす事が出来ました。


YouTubeで、さとうみつろうさんの、レイの祈りに無料参加なんかしちゃって、幸せに過ごす事が出来ました。


これも運命の計らいか?



一週間も休んで、復帰して、お詫びして。


そして今、私は何となく穏やかで、平和で健やかです。


いよいよグランドフィナーレなのかな、とも思います。


退職に向けて。


綺麗に健やかに温かく去っていきたいな。

無理かもしれないけれど、

世界は全部自分だとするならば、

自分の中の悪意を上手に断ち切って、

優しく慈しみ深く去っていきたい。


そういう卒業式が良い。


この世から悪意が無くなる訳がないんです。

天国になる訳がない。

いつかどこかで、きっといつの日にか、

あれが達成されたら、その時にやっと、

を、やめよう。


もうやめよう。ある程度でやめにしよう。


そんなことより、

今日のたいしたことのないご飯が、

なんて奇跡なんだろうって、

ジーンとしよう。


大した事無い日常に感動しましょうよ。

誰にも見つからずに、そ〜っと感動しよう。


いつもの代わり映えの無い、簡単なお料理の、

チャチャッと作った有り合わせの何かで、

でもお味噌汁もお鍋に火を入れて、温かくしてから食べたら、お腹がジワーンと温まって、

冷えていた手足の先までジワーンと温まって、




幸せじゃん?


生きているんだなぁ。

生かされているんだなぁ。

おなかが喜んでいるなぁ。

身体中の、細胞の一つ一つが、浮かれて喜んで大騒ぎしているんだなぁ、って、


そのことに気づいていたいです。


私に意識を向けられたお腹は、嬉しくて嬉しくて有頂天で大喜びの筈です。


体はそんなにも私のことを無条件で愛してくれている。


それにいつも気がついていたいな。


私はそう在りたい。



それが私の考える、


『お腹に聞こう』


なのです☺♥




お腹に聞く話や、聞けなかった話をしようといていたのですが、  


お腹に聞くというのは、調和ということなんだと思うんです。

お腹の中には色んな種類の菌が沢山いるらしいですね。


アシドフィルス菌とか、ビフィズス菌とか。


あとはよくわからないのですが(T_T)。


調和している、そういうことだと思うんです。



お腹に聞いていると、どうしても調和してしまうということなのではないか?


そして、結果的に全然聞けなかった事があったとしても、


大失敗してしまったと思っていても、


それはそれで結局大きな調和の中の一つの凹凸なのかもしれない、


そんなふうに思う、最近の私なのでした。