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Miuのブログ

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皆さんは東日本大震災の時、どうされてましたか?



私はニューヨークのピアノバーで一日だけ働いた貴重な日でした。



ウォールストリートで働く現地駐在員の方が、


「日本の本社の従業員が避難中だと言っている。」


と教えて下しました。

Miuのブログ-Wall St

働き終えた後、

すぐさま福島の浜通りに住む両親に電話をかけました。



電話はつながりませんでした。



翌朝、テレビをつけると福島原発と、宮城と岩手の津波の映像がひっきりなしに放送されていました。




どのチャンネルをつけても、東日本大震災のことがやっていて、こんな形で私の地元が世界的に放送されていることに悲しくなりました。



そして、何度かけても父親の携帯も、自宅の電話にもつながりませんでした。




語学学校にいた日本人は、みな東京よりも西で、地震に対して非常に楽観的な印象を受けました。


正直、阪神淡路大震災の時も、私はこんな感じだったかも・・・と思います。



メイクアップアーティストだという山形出身の方から、ニューヨーク現地で買った携帯から自宅に電話をかけてみると電話がつながりました。



その時、日本は真夜中だったので父は電話に出ませんでしたが、それからショートメールが私の携帯に届き、本当に安心しました。



身体も家も車も無事で、コップ2個割れただけとのことでした。




私の母は、


「そんな危険なところにいないで、早く帰ってきなさい!」


と電話するたびに言っていました。



福島原発よりもニューヨークの方が危険だと思っているみたいです。




地震のニュースを見るたびに、一人で泣いたものでしたが、


仙台に住む一番の友人からの現地の悲惨な生々しいメールと、姉からもらったメールを見て、

語学学校で涙が止まらなくなってしまいました。



姉からのメールには、両親に東京へ来るように説得したが、原発が爆発するまで家に留まることを選んだ、とあったからです。


また、私は幸いなことにお葬式に出たことが生まれて一度もありません。


テレビで報道されている様子からも宮城沖の酷さは見て取れますが、実情は現地から見ないと計り知れないと思います。





私はニューヨーク滞在中に、ワシントンDCを一週間ほど訪れました。


そこで、AFP通信のジャーナリストから日本の震災について、インタビューを受ける機会があったので、

思っていたことを伝えました。



記事には私のフルネームと年齢まで載っていたのが気に食わなかったですが、

現状を伝えられたと思います。




ボストン、ニューヨーク、ワシントンDC・・・、各地で日本の復興イベントが開催されてました。


チャリティーを行ったり、バザーをしたり、みんなでろうそくを持って街を歩いたり…。



みんなのこのパワーのおかげで、前向きな気持ちになれました。

幼少期、とても恥ずかしがり屋だった。



私は世界的に見て、謙虚な日本人であり、


私は全国的に見て、自己主張が苦手な東北人であり、


私は小学校のときに、発表で声が小さいと毎回注意されていた。



しかし、物心ついた中学生の頃から、とても社交的になった。


自ら発言するために挙手までできるようになった。




昔からピーマンが嫌いだった。


パプリカさえも食べれなかった。



しかし、こいつにだって良いところはあるんじゃないか?と思って今は食べるようにしている。


いつか食べれるようになるんじゃないかと思っている。




昔は運動が嫌いだった。


子供会の地区のフットベースが大嫌いだった。



大学時代はヨット部を全うし、


今はゴルフやヨガが大好きだ。




先生から大きい声で話せ、自分の考えを主張しろ、と強制されるのも、


母親からピーマンを食べろ、と強制されるのも、


近所の友人から毎日フットベースに行け、と強制されるのも、


大嫌いだ。





振り返ると随分、前向きな自分になったようじゃ。