もう九月に入った

 

お盆終わりから少し体調変化と言うか精神的なものかもしれないが気持ちが揺らぐことの方が多い。

水害の被災体験が気持ちにマイナスの作用を及ぼしているのだろう。

心配事だらけである、いまだに激しい雨が有るとあの雨を思い出す。それは恐らく私に限った事ではないだろう。

 

先週末には長女夫婦が久しぶりに来た。

私自身何とか、体調を戻そうと外に出始めてはいたがまだまだ本格的でもないそんな折コロナ感染を長女と娘までの限定で乗り越えようやく来訪に至った。7月上旬の出産後孫見せ訪問以来か。

6月に生まれた孫もようやく表情が出てきたが私と会う時にはいつも眠っている。

まだ眠っている状態しか見ていないのが残念ではある。

 

いつも隣の嫁の家には長く逗留するが私の所には数分の滞在、父親とはそういう存在なのである。

それでも娘夫婦の仲がうまくいっている分には何も口を出す必要もないのであえてそれは肯定し、私は私でいかに生きるかを追求するのみである。

大切なのは、私自身が健康でいるという事、それは私にとっても重要な事で一人で動ける体力筋力を維持する事は何よりも大切な事と自覚している。

 

それはそうと娘が翌日の帰りがけに、コメを貰っていきたいなと言うから貯蔵してある倉庫へ行って30キロのコメ袋を抱き起したら底が抜けコメがあふれ出した。

この時点で、我が家も床下浸水の被害に遭っていたことに気づく、まさかとは思ってはいたがそういえばある日倉庫へ行ってジャガイモが腐敗して全滅していたことに気づいた。

この時点でも浸水の影響とは思っていなかったが、前年も収穫後保管していたジャガイモが腐敗して結構捨てた記憶があったからそれと同じ現象かと思っていたが結構その場に水分が残っていたから疑うべきだった。

コメ袋の冠水は免れていたが、下に敷いていた木材やゴザなどが濡れその水分が袋に移ったと考えられる。

ひと月近くも、放置していたからどうかなとは思ったが、袋の上部のコメだけでも救出と思い袋を替え詰めて娘に渡したが翌日連絡があってカビてるっぽいので食べる事は出来ないと連絡があった。

新米が来たらまたもらいに行くという。

保管米の残り90キロのコメが被害に遭った。一度洗って食べてはみたがカビたコメはやはりにおいが取れないから捨てるしかないだろう。

 

保管場所は道路から地続きの車庫兼だから溢れた水はどこまでも忍び寄る、こんな危険が差し迫っていたとは、この地に越してきて50年越えるが初めての経験、異常気象の影響はだんだん近くなる。

結果的に家屋に被害がなくて安堵はしたが、もう少し長くあの豪雨が続けばもっと悲惨な結果になっていただろうという思いもある。

まさに紙一重の状況、恐らくこの国のどこにいても雨量が記録的な量になったら起こりうる災害なのである。

一級河川は大きな堤防と管理された水量調整によって今回の豪雨では被害はなかった。また隣県との降雨帯の時間差も幸運をもたらした。

しかしながら小河川や田んぼそこに付随する排水路は水の出口がなく溢れてしまった。

堤防で守られているというという事は、水の逃げ場がないという事。結果湛水被害は起きてしまうという事実。

 

夏は大雨、冬は豪雪に見舞われるこの地域。

すべての元凶は日本海から来る湿った空気、地形的に雲が溜まりやすい環境にあるというのが私の結論。

 

被害に遭いたくなければこの地を去る事が必要なのかも、でも私の人生はあと20年あるかどうか。

もうどこへ行く余裕もない、55年目の災害だから何とか間に合うか。

ただ友人とも話す、来年同じ事が起きない保証はどこにもない。