人生は失敗だらけの時もあったし、思い通り描いたように進むことも沢山あった。

「料理が得意でうらやましい!どうしたら失敗しないの?」と大学時代の親友は言ってくれが、その返答に

「ねぇ、人生失敗だらけだったよ!料理はこんなにうまくできるのに、何でかな?」と言いたくなる。

失敗しても、少しずつ修正していくことが大事。
料理とは違って、人生は長いぶん、途中で修正が効く。

時には周囲に嫌ってほど迷惑もかけた。
でも、かけたぶん、今は大きな過ちを起こすことも減った。

過ちと言えば色んな過ちがあるけど、四年半前は沢山の課題を背負っていた。

今も横に居る彼にこう感じていた。

この街から引っ張り出さなきゃ!
仕事をかえさせなきゃ!
引越しさせなきゃ!

この友だちとは離させなきゃ.....

この彼の友だちT君は大きな問題を抱えすぎていた。

「明日からTが、刑務所に入っちゃうから最後にお別れしてくるよ」

彼は電話で私にそう告げると、早朝まで帰宅しなかった。

その時、内心こう思っていた。

(問題児が居なくなるのかぁ。塀の中に入っても、問題を繰り返すだろうから縁きってほしいなぁ)

そして四年半が過ぎた。

二カ月程前に、彼がこう話してきた。

「Tがでてきたって。うちの会社を紹介してあげようと思うんだわ」

「そうなんだ、頑張れるといいね」

頑張れる訳ないよな〜と思いながらこんな返事をしていた。


それから一カ月、T君は頑張って日雇いのバイトに取り組んでいた。
が、その一カ月後には、刑務所暮らしの前の街に出戻ってしまった。

四年半前、私は勝手に他人の未来を頭に描いた。会った事が無くても、容易に想像出来た人生....
そしてその通りの人生をT君は歩み出した。


案の定、T君はこう彼に話していた。

「そんな仕事してる場合じゃないよ。お前も戻ってこいよ、稼げるぞ」と。

でもそんな魔法の言葉は、今の彼には響かなかった。

私は四年半の間、彼と一生懸命に色々な事に取り組んできた。

よく考えたら、彼に言い聞かせ、自分にも言い聞かせていたんだと思う。

こんな人生は歩んだらいけない、他人に迷惑をかけちゃいけない、大きな欲をかくと取り返しのつかない事がおきる、一生懸命に話し合う事が大事だ、人に親切に、人の痛みに寄り添いながら、周りが喜んでくれるような生き方をしていきたい、もう沢山ありすぎて書ききれない。

豊かな人生を!!!

って胡散臭い、スローガンみたいw

けど、自分の人生に責任を持って生きるのはとても難しい。

そして、責任を持てずにボーダーを超え問題を起こした人間は刑務所にお世話になる。

三年半前に以前の仕事を辞めて、まじめに働いてきた彼は心も豊かになった。
稼ぎは減ったかもしれないが、今の方が人間らしい。

楽に稼ごうとする友人を、どうにか更生出来ないか考えようになっていた。昔は人のことを全く考えなかった人が、こんな風に心配するのって凄いなぁと素直に感じた。

以前の彼なら、T君とゲラゲラ笑って、あの街に居たと思う。

そして私が居なくなったら、絶対にT君に持ってかれちゃうなぁと、心配で過保護に接してきたが、(T君がもし以前の彼を好いて居たとしたら、もうその彼はここには居ない)もう大丈夫なんだなぁとホッとした。


T君は私や彼よりも沢山の貯蓄を持っている。
けど、今回はそれが仇となった。
減る事が怖いせいで、また出戻る可能性が高い場所に自ら吸い込まれていった。

刑務所生活中に子供が産まれているのに、こんな姿だとは....
子供に愛情があったら、そして家族から本当に必要とされていたらこんな風になら無かっただろうに。

私の"子供は持ちたくない”という気持ちが益々加速した。

子供が居るのに、それが歯止めにならないってことが悪夢すぎる。

結局彼の頭のなかは”貯蓄が減らないように増やしたい”が最優先事項なんだから。
  
きっと何度でも繰り返す。

いつか時が来たら、私の彼もT君から離れていく日が来るんだろうなぁ感じた。



簡単に言えば、ステージが変わったという話で、現実的には同じ世界に生きているけど別世界に居るから合わなくてなってくるんだと感じる。

もっと言えば、修行を少し積んだ、彼が、T君に合わせることは出来ても、T君はこっちの世界に合わせることが困難だから舞い戻ったという言い方が正しいのかな。

合わせている方はいつか疲れて、フェードアウトになって行くのが自然な流れだろう。