高校生までいた、愛する故郷の札幌にいます。
着いた日から殆ど、ダウン持参で外出しています。
祖母の家にいるのですが、家が山なもので、朝夜はまさかのストーブもつけております。
札幌、涼しいと言うか、肌寒いです。
この2年間の間に、祖母の家の近くにあったスーパーは無くなり、買い物がとても不便になっていました。徒歩圏内からバス圏内、この変化は独居高齢者にとって大きいのです。
祖母も今年の冬に骨折してから入院をし、杖をつくようになっていました。
以前はご飯を作ってみんなに食べてもらうことが生き甲斐だったのですが、
前のようには作れなくなっていました。(それでも母の好きなタケノコご飯だけは作って、いっぱい食べてほしくて食べて欲しくて、一生懸命でしたが)
中学時代の友人の子供(年長さん)は、すっかり大きくなっていて、
「よるだんってさ、ぱいろっとのひとがしんだとこなんでしょ?よるだんさ、、そんなとこにいてさ、あぶなくなかったの??」
と予想もしないような大人がするような質問をするようになっていて、びっくりしました。
2年という歳月は短いと思っていたのですが、予想以上に色々変わっていて、
衰えていくもの、成長していくもの、無くなるもの、生まれるもの…、多くの変化を感じました。
その一方、私の中で変わらないものは、今まで過ごしたヨルダンとの繋がり。
ヨルダンで出会った方々からは、相変わらずメールがじゃんじゃん来るのです。
「おはよう」
「こんにちは」
「あなたのことが大好きだよ」(女性からです笑)
「おやすみ」
「元気?」
「今何しているの?」
「家族によろしく」
「おばあちゃんによろしく」
「写真を見せて」
「日本は何時?」
「さみしいよ」
等々、本当に些細なことも、沢山メールしてきます。
私は今良くも悪くも無職なので返しているのですが、
お蔭でまだヨルダンにいるような感覚になります。
まだまだ日本で浦島太郎な私にとって、彼らがほっとする存在になっています。
ミルクプロジェクトについては、継続して動き続けています。
先日、ザァタリ難民キャンプで活動をしていた友人の活動報告を聞きに、JICA北海道に行ってきました。
そこで、アポなしだったのですがミルクプロジェクトの宣伝をさせて頂く機会を得ました。
更に協力隊を育てる会の方からお声かけ頂き、宣伝方法のアイディアも頂きました。
その後、その友人と北大祭(北海道大学の学校祭)に、民族衣装で参戦してきました。
シリア人を探そう!
と、目立つ格好で歩いた訳です。
ヨルダン人を見つけることはできませんでしたが、
北大で研究をしているシリア人と知り合い、ミルクプロジェクトのことを話し、ビラをお店に置いて頂きました。
すごく感じの良い青年でした。
今度、また帰省した際は会えたらなと思います。
それからも、ハローワークで受付をしてくれた方にビラを配り、
北海道新聞社にも行き、ビラを置いていただき、自ら取材されに行ってきました。(載るかは分かりませんが。)
なんか自分でもびっくりするくらい動いています。
行動力の源は、皆さんが色々応援していて、
プラスのエネルギーを送っていてくれているからなのだと思います。
このプロジェクトの他に、私には私のやるべき自分のこともあります。
去年私が精神的に参っていて幽霊みたいになっていた時期に、ただ黙々と没頭することのできる陶芸を勧めてくれた当時の調整員さんと、作業療法士学会への演題を出してみようと決意させてくれた恩師に感謝します。
全てはここから始まった気がしています。
ぼろぼろ涙をこぼしながら、泣いているのがばれないように装いながら、その先生と学会について話していたことが思い出されます。
6月の20日に神戸でポスター発表をさせていただく予定です。
お越しの方は、お声かけいただけたらと思います。
※写真は、祖母にパレスチナ刺繍の民族衣装を着せた時のものです。
着るとは思わなかったのですが、着て見る?と勧めた所、乗り気でした。
あらまぁ可愛いわねぇ!!と鏡で自分を暫く眺めており、お茶目で可愛らしかったです。