今日はクリスマスです。
街もとても綺麗なイルミネーションなんかが立ち並んでいてほんと雰囲気のいい時ですね。
皆さんは昨日や今日どのようにお過ごしでしたか?
大切な人とあまーい時間を過ごした人もいたでしょうねw
でも、この季節、私の周りではいろいろな人のいろいろな恋愛が終わっていきました。
その一部始終を知る私にとって、今日は複雑な気持ちです。
ですが、幸せな人を幸せそうにみていると自分も幸せな気持ちになれると思いませんか?
街の人々は皆幸せそうに見えます。
ところが実際は皆いろいろな悩みや悲しみを背負って生きているかもしれないのです。
自分は自分がどのような境遇でいたとしても、人の幸福を素直に見守れるようになりたいのです。
それは自分のため。
悲しみは人を強くするといいますが、悲しいものはやはり悲しいもの。
そういうときに幸せそうに過ごす人たちはうっとおしく感じることもあります。
でも、なるべくそれを肯定的にとらえるようにしたい。
幸せそうな人たちを優しく見守りたい。
幸せそうな人たちをそう自然に見れるようになったとき、自分の目標は達成できるのかもしれません。
今の自分は人を疑惑という目でみる悪い癖があります。
基本的に表には出さなくても疑ってかかってしまうのです。
どんなに仲良くなってもそのことは変わらない・・・それが私の最大の欠点です。
人を信じていない私は間違いなくまだまだ弱い人間です。
無防備に人を信じて、裏切られることへの恐怖。
後悔をしたくないからといってそれを正当化している自分。
少なくとも心を割って話したような人たちにはそんなくだらない心を持ちたくない。
それが分かっているのにできないのはなぜでしょうか?
裏切られてもかまわない。そういう心のゆとり。大きさ。強さがまだ自分にないということです。
中国は三国志の時代、呉の孫策はある戦いで、そのとき敵であった大史慈という勇将を捕らえました。
大史慈は義将としても知られ、周りが逃げ出す中一人奮戦しそして捕らえられました。
孫策はそのことに非常に感動し、大史慈を家来として仕えさせようとしたのです。
その時、大史慈は「私を仕えさせてくれるのならば、3日の猶予を与えてください。その間に、私の信頼する家来たちを引き連れ、あなたのもとにはせ参じます。」と言ったそうです。
それを聞いた孫策の家来たちは激怒して孫策にこう言いました。
「これは大史慈の逃げるための口実です。乗せられてはなりません。」
実際にそう思うのが普通です。たった今まで命の取り合いをしていた相手なのですから。
しかし孫策はこう言いました。
「私はこの男を信じる。たとえ裏切られたとしても、そのときはその程度の男なのだろう。家来に欲しいとも思わん。」
そして最終的に大史慈は約束をはたし、孫策に一生仕えることになります。
この話を聞いたときにはあまり感じなかったのですが、実際の自分はおもっているほどこのことが出来ないということが最近良く分かってきました。
悲しいことです。
まだまだ自分にゆとりがない証拠ですね。
友達にびっくりするぐらい人を信じてしまう人がいます。
それを子供っぽいとか甘いとか思う人もいるようですが、私は最近心からそれをうらやましく思います。
きっと彼は裏切られることも含めて許容できるような人なのでしょう。
その部分は私が彼を非常に評価している部分です。
私は自分的にはかなり強くなれたと思います。でもそれはあくまで私個人の問題。
これからは、周りのことも気にしながら、周りを幸せにできるだけの強さを持ちたい。
ひとりで大丈夫になった今だからこそ、そのことを考えられるのだと思います。
話が重くなってしまいましたが、
皆様メリークリスマス。
たとえどんな境遇で、どんなことをしていても、みんなで今日という日を祝いましょう。
PS。今晩は高校の友達達と男たちで忘年会をします☆
ロマンチックとはかけ離れた奴らですが、気の置けないこの仲間たちこそが、
私の一部になっていることをうれしく思います。