すっかりご無沙汰して申し訳ございません。marimoです。
先日から光一くんのコンサートがスタートしましたね!
ご縁があり無事に行けることになりました。感謝。
全て終わった頃にレポできたらと思います。

さて、最近いろいろな方のKinKiファンになった馴れ初めを読み、
本当にファンの数だけドラマがあるよなあと感動してました。
さて、じゃあ私も自分の場合について書いてみようかな、とキーボードに向かったわけですが、
正直、私の場合めっさ暗いですwww
なので読んでて全くほっこりも何もしないと思います。
私のKinKi Kidsファンとしての歴史は、そのまま私の闘病史なので。
差別用語のような汚い言葉がガンガン出てきますが、実際に私が言われたことなので、不快にならない程度に削除はしておりますが・・・文脈上必要なもののみ記載しております。
閲覧注意ということで。
それでもよろしければ。つらつら書いてみます。




私は所謂『KinKi世代』『Jr.全盛期』というやつです。
小学校の時はSMAPに皆夢中。
中学の頃になると、クラスの半分が「剛派」「光一派」に分かれ、女子ならず男子までもがKinKiの真似をしてた頃です。
また、空前のJr.ブームが来ており、タッキーやすばるくんにきゃーきゃー言いながらこぞって明星を読んでいる女子が周りに沢山居た、そんな時代です。

しかし、私は相当な変わり者でした。
全く芸能人やアイドルに興味が持てないどころか、顔の識別ができない(笑)
テレビを見てても特に何も響くものはなく、漫画や推理小説ばかりに夢中でした。


そんな私が小5の時のことです。
大好きな漫画『金田一少年の事件簿』がドラマ化すると知りました。
これは見なければ!とウキウキしてテレビの前に待機。
いざOPの時点ではじめちゃん役の剛くんを見た瞬間に、身体の中心を熱い何かが駆け抜けました。
あれは多分一目惚れってやつだと思います。
ストーリーは暗記する程漫画で読んで知っていたから、ただひたすら剛くんだけを目で追ってました。
ニコッと笑う顔も、真剣な表情も、本当に本当に格好良くてかわいくて。
すっかり夢中になりました。テレビの前に釘付けとはまさにこのことで。
芸能人の顔なんて覚えられなかったはずなのに、その日のうちに剛くんで頭が一杯になって。

その後Mステで『Rocks(多分)』を一人踊る剛くんを見た時に、その衝動は確信に変わりました。
なんて格好良く踊るんだろう、なんて歌が上手いんだろう、
後ろで踊るJr.なんか全く目に入らなくて、
剛くんの姿を私はただ涎を垂らすかの如くぼーっと見つめるだけでした。

布団に入っても踊る剛くんが目に焼きついて離れません。顔が火照って胸が苦しくて。
一人の男の人で頭が埋め尽くされるなんて初めてでした。
きっとあれは初恋でした。


・・・さて、ここまで光一くんが全く登場しないなあと思ってらっしゃる方、すみません。
当時私は光一くんが正直苦手だったんですwwwww
理由は当時センター分け男子の髪型が大嫌いだったからwww
ごめんね光一くん!!!今はこんなに愛してるのにごめんねでも小学生なんてそんな理不尽なもんだよねごめんなさい(言い訳)
今になって当時の光一くんを見るとこんなに胸がときめくのになあ。不思議。
というわけで、元々剛くん好き好きラブラブから私のKinKi Kidsお茶の間ファンライフは始まったのです。



※ここから暗いです

その後中学校に入ってすぐ、私はとある病気になりました。
『若葉のころ』放送の頃、突然私は通学路で倒れ、そのままドクターストップがかかり強制的に寝たきりにさせられる日々が続きました。
(医者に「夜ドラマ見たいんですけど駄目ですか?」と聞いたら「はあ!?ドラマどころじゃないですよ・・・このまま放っておくとあんた死にますよ」と説教された。医者から「あんた死にますよ」と言われる経験も今後なかなかないと思う)

少々病状が回復してからの私にとっての娯楽は、一定時間に制限されたテレビだけでした。
大好きな本ですら、その重さが負担になると言われ読む時間を制限されました。
奇しくもそれは1996年、KinKi Kidsが週6日地上波でレギュラー番組を持っていた年です。
テレビを付けると、二人の整った顔立ちの男の子がどの局でも笑っていました。
KinKi Kidsです。
キラキラ輝いています。顔も二人とも格好いい、歌もダンスも上手いし、関西弁のトークが軽快で面白い。
でも、当時は正直テレビすら見たくはなかった。
どんな面白い番組でも、見ててもちっとも楽しくないからです。
当時の私はただ普通の生活がしたかった。
普通に自分の足で学校に行き、普通に授業を受けて、普通にお友達とお話をして、普通にご飯を食べて、普通に睡眠を取る
本当にただ普通の中学生がする生活がしたかっただけだった。
毎日が面白くなんかなくていい、ただただ『普通』になりたかった。
病気が思うように回復しない私は自棄になって全て投げ出してました。
笑い声を上げて外をはしゃぎ回る兄弟や友人の声を聞くだけで涙が止まらなかったし、
泣くことすら体力を消耗するから止めなさいと言われる始末。
思うように動かない身体が悔しくて、自分の状況が悲しくて。
ただ立ち上がるだけでふらつく身体に苛々がつのり、家族にも相当八つ当たりしました。
家族は「みっともないから早く治しなさい」と叱るか、部屋に閉じ込め腫れ物に触る扱いでした。

その「みっともない」理由は、私の病気が、精神疾患と判明したためでした。
かなり前から私の心はおかしくなっていたようですが、それに気付かないまま普通の生活を送ろうと無理した結果、身体が先に壊れそこで初めて発覚。
当時私の田舎ではまだ「精神病(敢えてこの言い方をさせていただきます)」というものは、狂った人がかかるものだと思われていました。
私はもう化け物のような扱われ方でしたし、そりゃあ汚い言葉を浴びせられました。
母が「こんなおかしな子は私の娘じゃない」と泣き叫んでいたのは未だに忘れられません。
血の繋がった家族からすら『気持ち悪い』『気力を強く持てば何とかなるんだから甘えてないで頑張れ』と当然のように言われる時代でした。
90年代半ば、13歳の私は殆ど『人間』として扱ってもらえませんでした。
今では周りを責める気は全くありません。周囲にモデルケースがないのだから仕方ないことです。
インターネットで検索できる今の時代を本当にありがたく思います。


そんなわけで当時の私はお恥ずかしながら全く正気じゃありませんでした。
何故あんなことになったのか未だによくわかりません(まあ病気だからと言ってしまえばそれまでですが)。
寝てばかりいるのも飽きます。仕方なくテレビを見ます。楽しくない。泣きます。その繰り返し。
いつになったら私は普通に生活できるのか五里霧中でした。

ところがある日、多分『KinKi KidsのGyu!』をぼんやり見ていた時、いつの間にかゲラゲラ笑っている自分に気付きました。
久々に自分の笑い声を聞きました。自分でびっくりしました。
改めて画面を見ます。大好きな剛くんがケラケラ笑ってます。光一くんが小突きます。
何でもない他愛ない二人のやり取りに、私は心底癒されました。

「なんだ、私、まだ笑えるじゃないか」
希望がかすかに見えた瞬間でした。
無味乾燥な日々に、光が一筋差してきたような気がしました。
よくよく二人の顔を見ると、ドキドキしました。心臓がいい意味で動くのを久しぶりに感じました。

とにかく私は『あそこ』から抜け出したかった。
そのための一縷の希望がKinKi Kidsだったのです。
当時の私にとって、KinKiは自分を変えてくれるかもしれない一筋の光でした。

まだ自分が病気になる前、心を惹かれた二人。
もしかしたら病気になる前の気持ちに戻れるかもしれない。藁にもすがる想いでKinKiの番組を見ました。
剛くん、相変わらず格好いいです。歌も上手いしダンスも格好いい。
光一くんも本当に綺麗な顔だしトークが面白いしすっごく素敵。
久々に他人の良いところを沢山見つけられました。久々に他人を恨まないで過ごせました。
ちょっと恋でもしてる気分になりました。
忘れていた「人を好きになるという感情」を思い出した気がしました。
KinKiのバラエティを見てると、同年代の若い子の会話はこんな感じなんだろなーと知ることができました。
ニコニコ、わちゃわちゃ、すっごく楽しそう。その中に混ぜてもらってる気になりました。
私は部屋で独りだから、あんな風に友達と遊ぶことはできないから。
私の思春期の日常像は、全部KinKiです。
KinKiに私の青春を代打してもらいました。


病状が全く快方に向かわないことに焦り、毎度主治医の先生にも八つ当たりばかりしていましたが、それも段々変わっていきました。
「先生、私元気になったらKinKiのコンサート行けるようになりますかね」
「おお、いいね。回復したら勿論大丈夫だよ。元気になったら何でも行けるよ。」
他愛ない未来の話を出来るようになりました。

思えば当時の私は本当にコンサートに行きたかったわけではなかったかもしれません。
ただ、KinKiは私にとって、苦しい世界から現世に連れ出してくれる、魔法みたいなもので。
『KinKi Kids』という扉を開けたら、きっとその先には幸せが待ってると。
きっとコンサートに行けば、今の自分の苦しみは消えるんじゃないかと信じたかった。
今の辛さも全て忘れられるんだと信じたかった。すがってました。

スパンコールのついたキラキラ衣装、その輝きを凌駕する程輝く麗しい二人の少年、弾ける笑顔、羽が生えたんじゃないかという軽やかなダンス、
何か光線でも出しながらターンしてるんじゃないかというくらい、二人は本当に本当に綺麗だった。
Mステを食い入るように見つめながら私はうっとりしてました。

一番印象に残っているのはローソンコンのCMです。
本当に数十秒だけだったろうけれど、私の心を捉えるには充分でした。
アンソニー(シノラー曰く)の衣装を着て踊る光一くんは、本当に王子様みたいで、胸がどきどきしました。
くるくるひらひら 衣装の先から星屑が零れ落ちてるんじゃないかってくらい。
堂々としていました。とにかくすごかった。
当時のKinKi人気は破竹の勢いだったから。数秒の映像にただただ圧倒されました。
自信と希望に満ち溢れた麗しい青年が躍動する姿に釘付けでした。
御伽噺に出てくる王子様みたいだ・・・ぽーっとなってテレビにかじりついてました。
本当に夢のような世界。歌い踊る二人を見るだけで幸せでした。
これを肉眼で見たら、私はどんなに幸せな気持ちになれるんだろう・・・
それだけが『私が考える普通の女の子みたいな行動』だったのです。
『普通の女の子』がどんなことをするか知らなかったけど、格好いい男の子に惚れ惚れしたりキャーキャー言ったりするのは、なんか普通の女子中学生っぽく思えたんです(笑)
淡い、小さく幼い恋だったと思います。


病床にあった私にとって、KinKi Kidsは、生きていると実感できる唯一の瞬間でした。
『今どん底に居ることしか考えられない』少女は、『好きな人に会いに行きたい』と思うようになりました。
私は益々テレビっ子になりました。KinKiと名の付くものは欠かさず見るようになりました。
テレビに集中し過ぎると体力奪われるからと時々怒られたけれど。
『LOVELOVEあいしてる』は深夜放送なので本当はリアタイを反対されましたが、体調の良いときだけ許可が貰えたので、土曜夜に向けてコンディションを良くしようと頑張るようになりました(笑)
身体が冷えないように毛布を被ってテレビの前に座ってわくわくしながら待機。
大御所の前ではにかみながら一生懸命頑張る二人はとても可愛かった。
KinKiの歌が大好きだったので、本当に幸せな時間でした。
私にとって『LOVELOVEあいしてる』は、そんな意味でも思い出深い番組です。
LOVELOVE~の話が出ると、身体が冷えないように毛布にすっぽりくるまってドキドキ胸をときめかせ体育座りをして見てた当時の自分をセットで思い出します。

雑誌は買えませんでした(そもそも家から出られない)。
ビデオテープも高価だから買ってもらいにくかったし、
ファンクラブも入ってませんでした(病気になったことが申し訳なくて何もねだれなかった)。
それでもお茶の間ファン生活は楽しかった。本当に楽しかった。
好きな人がいるって、自分の心の中に支えになる人がいるって、すごいことだと思いました。


月日は経ってようやく病状が回復。復学できました。
それからはここに書けないような差別も受けましたが、家に帰ったらKinKi見よう♪と思って耐えました。
ずっと寝たきり布団の中で夢見てた学校生活でした。しんどくても耐えられました。
そして何より帰宅したら剛くんと光一くんが笑ってくれてる。
当時の私の『心の中の友達』は、剛くんと光一くんだけでした。でもそれでも良かった。
画面越しだけど二人が優しく笑いかけてくれるから、私はその他の冷たい視線に耐えられたのかもしれません。

段々、私にもなんと友達が出来始めました。KinKiが好きという共通点があった子です。
「剛くんも好きだけど光一くんも好きだから迷っちゃう~」みたいなくだらない話をするようになりました。
その子は毎号明星やPOTATOを買ってたので見せてもらいました。
この写真格好いいねなんてキャーキャーロッカールームで言い合う、そんな空想でしか経験がなかった普通の学校生活を送れるようになりました。二人のお陰で友達というものを持つことができたのです。
すごいです。KinKiすごい。
私の人生を変えてくれたのは紛れも無くKinKiでした。


高校は家からかなり遠い学校へ進学しました。
そこにしかない進学校に行きたいというのは大人への建前で、単に少しでも自分のことを知っている人が少ないところに行きたかっただけでした。
全部全部忘れたかった。
あったかい想いもしんどかった想いも全部置いて。
私の人生は、一度13歳の時に終わりました。
当時の私は「何事もなく生きていったら居たであろう『普通の女性』である私」と、決別したのでした。
闘病中の私は、家族の中で「なかったこと」になっています。
文字通り黒歴史。仕方ないことです。誰だって娘には「普通に幸せ」であってほしいでしょうから。

高校時代に一度病気は"再発"はしてしまったものの、とてものびのび過ごせました。
KinKiの人気は絶頂、『フラワー』などヒット曲を飛ばし、ドラマにもばんばん出演してた頃。
髪型を変えた光一くんは私好みだったので(おい)、この頃は寄り無し、二人とも全く同じ好き度でした。
KinKiは益々歌が上手くなってきて、ノリに乗ってるように見えました。
CDショップに通い、初めてアルバムを買いました。
格好いい二人にときめきながら過ごした女子高生時代だと言えます。

でも、念願だった筈のKinKiコンには「行きません」でした。
何というか、怖くなってしまったのです。
私にとって 生の二人に会うということが自分の目標というか 生きる励みになっていたので、
それが叶ってしまった時に、生きる目的が無くなってしまったらどうしようと、怖かった。

もしかして実物を見たらがっかりしてしまうかも・・・そうしたら生きる希望が無くなってしまう・・・
「大丈夫だよそんなことないよ」と今なら鼻で笑えるようなことでも、当時は真剣でした。
ずっと遠くから見つめているだけで心がほかほか、満足でした。
そんな幼い想いを密かに胸で温めているだけで幸せでした。
いつか、いつか『ちゃんとした人間』になれたら、二人に会いに行こうと思ってました。
それまで、一生懸命頑張ろうと勝手に誓って。
KinKiの二人は、当時から(勿論今も)私の頭上でキラキラ輝くお星様のような存在です。
お星様は望遠鏡のように、テレビ越しで見てるだけでいいと言い聞かせてました。

そんな感じで私は意志が弱いので、受験シーズンには極力テレビなどを見ないようにしていました。
どうしても勉強をする気が削がれるからです。
無事に受験に成功したらKinKiを楽しむぞと、KinKiをご褒美の一部に変換してました。
よって高校・大学受験シーズンはファンをお休みです。


時は経ち、大学受験が晴れて終わり楽しい大学生活を満喫し始めた私は、KinKiから少し足が遠のいてしまいました。
決して彼らに興味がなくなったわけではなく、初めての一人暮らしに慣れずバタバタしていたためです。
そもそも貧乏学生だった私のアパートには、当時テレビがなかった(21世紀なのにwww)
親が見兼ねてテレビを買ってくれた頃には、バイトだなんだで目まぐるしい毎日を送っていました。
それでも幸せだった。過去の私はもういないんだと。
もうすっかり元気になった。前を向いて生きていくんだと元気に満ち溢れていました。


大学も2年となると余裕もできてきます。
無事にインターネット環境が揃った私が真っ先に調べるとしたら、当然KinKiのことでした。
大好きなKinKi。私に元気と未来への希望を与えてくれたKinKi。
体力もついたことだし、そろそろ大好きな二人をこれから思う存分堪能しようと思いました。
流石に自分の心も身体ももう大丈夫だろう。思い切りファン活動をするぞと意気込んで。
もしかしたら仙台にライブに来たりしてくれることもあるかもしれない。
喜び勇んで、太陽のような二人の笑顔を想いながら検索。
しかしそこで私が見たものは、見るに耐えない罵詈雑言でした。

あの時のショックは忘れられません。
とても人間が発した言葉とは思えない下劣な単語の羅列
ここに書いてある剛くんと光一くんは、あの二人のことなのか?全く信じられませんでした。
足元から一気に身体が冷えたのを感じました。
きっと顔も真っ青だったと思います。
KinKi Kidsで検索すると出てくるのは悪口か言い争いか醜い文章か。
それは03年秋、Fコンの追加が終わってしばらく経ってからのことでした。

それでも何とか読み進めると、剛くんがパニック障害を患っているという記述が。
心を病んでどん底にいた私を救ってくれた本人が、
私が治ってきた矢先に同じように苦しんでしまっているなんて、思いもしませんでした。
読まなきゃいいのに、噂話のような記述を一心に読み続け。
そしてふと、あることに気付いてしまいました。
「ああそうか、私も周りからこんな風に思われていたのかもしれないんだね・・・」と。
私は確かに病には倒れたけれど、その後の状況というか、周囲には恵まれていたと思います。
両親や学校の先生方、主治医の先生は周囲からの私への偏見を最小限になるようにしてくれていました。
偶然私が診ていただけたのが名医だったのも不幸中の幸いでした。
それでも毎日のように漏れ聞こえる罵詈雑言には傷つきましたが、かなりシャットアウトしてもらえていた筈です。
クラスメイトなどから通りすがりにひそひそ言われることもあったけれど、私自身敢えて詳しい内容を聞く気にはなれなかったし、
授業以外は完全にひきこもっていたので、誹謗中傷の詳細な内容は知らずに済んでました。
家族は気を遣って、私の写真も殆ど残さないようにしていました(後から見て落ち込むと思ったのでしょう)し
ましてや大学へ来たら、私の過去を知る人はいません。
新たな生活が始まりました。楽しかった。幸せだった。もう暗いものは見なくて済むと思いました。

でも剛くんは違う。
常に人の目にさらされ続ける生活、常に期待され続ける生活、
休みだってろくに無かったでしょう。
写真だって具合が悪かろうがばんばん撮られます。映像すら残り全世界に配信されます。
そんな中、こんな想いを抱いて生きていかなきゃいけないなんて、その辛さは想像するだに恐ろしかった。
そしてパソコンという箱の中から湧き出てくる下衆な言葉の数々は、残念ながら忘れかけていた当時の私の記憶を全部揺り戻してしまいまいた。
忘れていたもの、見ないようにしていたもの、全部を。

信じたくはなかった。
あの花がほろりほころぶように微笑む剛くんの顔を想うと、どうしても信じられなかった。
剛くんは皆が憧れる素敵なアイドルだ。
可愛くって、格好良くって、歌が上手くて、ダンスが格好良くって、本当に素敵で・・・
大好きな大好きな剛くん。笑顔のキラキラ可愛い剛くん。剛くん、剛くん、
多分私はずっと泣いてたと思います。

段々と嫌な考えが頭を過ります。
もしかしたら今の剛くんも、病気を際に変わってしまったんじゃないか。と。
もう、皆の前で笑いたくないんじゃないかと。もうひっそりと生きていきたいんじゃないかと。
現に自分はどうか。病気の前後で明らかに変わってしまっている。
何も考えずに周囲を信じることができていた筈の私は、現に今猜疑心の塊じゃないかと。
他人が怖くて、作り笑いをして逃げてばかりじゃないかと。
人から受けた数々の仕打ちを全く忘れてないじゃないかと。
いや!そんなことない!剛くんは変わったりなんかしない!と信じる自分の中に、
「お前だって病気のせいにして随分昔と変わってしまったじゃないか。
お前が毎日辛い辛いと言ってたように、剛くんだって今本当に辛いだろうに。
胸の内をわかってもらえない苦しみを誰より知ってるのはお前じゃないのか。
自分のことを棚にあげて人には厳しいなんて、お前は本当に卑怯な奴だな。」

と皮肉る自分がいました。

大学生活は楽しい。友達も、お付き合いをする人もできました。
病気のことも、嫌なことも、全部全部心の奥底に仕舞い込んだ筈でした。
自分に向けられる悪口や化け物を見るような視線、全くの事実無根な噂話、すべてを。
無理やり蓋をして心の奥底に押し込んで見ないようにしてました。

しかし、ネットで検索して出てくる「剛くんの発言や行動と言われるもの」は、
私が一番思い出したくない、まさに病気の真っ只中に居たときの自分とリンクするものが多々ありました。
正気になったらおかしいとわかる行動でも、そのときはどうしようもできないこともある。
でも、そんなのは他人には関係なくて、でも剛くん本人は絶対辛いはずで、でも他人を傷つけていいわけはなくて、でも私は当時どうすることもできなくて、、、
剛くんのことを考えている筈なのに、自分のことをどんどん思い出していきました。
残念ながら本当に本当に全部思い出してしまった。
思い出したくもない自分の言動、行動、当時の息苦しさ、眩暈、吐き気、焦燥感、絶望。
読めば読むほど、当時の記憶が鮮明になっていく。
私は何をしているんだろう。「これ」を読んでどうしたいんだろう。
今なら「噂は噂、自分が見たものしか信じない」と断言できる私も、当時は本当に未熟で弱かった。
何を信じたらいいのかわからなかった。
そして私は『当事者側』の人間だから、剛くんを手放しで庇う立場になれませんでした。

身を持って知ってしまったから。
自分が傷つくのと同等かそれ以上に、自分の病状や言動がどれほど家族や大切な周囲の方々(光一くん)を傷つけてしまうかを。
自分を大切に想ってくれている人であればあるほど傷つけてしまうのだと。
そして、それを間近で感じる本人(剛くん)がそのことに気付いてしまった後、どれほど傷つくかを。
庇われれば庇われるほど、慰められ励まされるほどどんどん惨めになるということを。

それは私のなぞってきた道だった。
寧ろ心身共にどん底に居る時のほうがまだマシで。
どん底に居たら苦しさすら感じられないから。
回復期に入ると、振り返る余裕ができてきてしまう・・・それまでの自分の言動や周囲への迷惑を思って死んだほうがましだという心境になってきてしまう。
剛くんには回復してほしいと心底願っていたが、それは即ち私が味わった苦しみと似たようなものを彼がこれから味わうことになるかもしれないという予測でもあった。もう絶望に近かった。


そして、隣に居る光一くんはどうだろう。
周囲に居る人の辛さも、周囲の心優しい人がどのように変わっていくかも、私は同時に思い出してしまった。
・・・優しかったはずの母は、泣き乱れるか般若のような顔を私に向けてきた。
あったかくて優しかった母は、私の前で意味を成さない奇声を発し続ける何らかの生き物と化した。
辛うじて聞き取れた言葉は、忘れたいのに未だに忘れることはできない。
「私の言うことを聞く娘じゃなかったらいらない。こんなのいらない。」
「こんな頭がおかしいのは私の娘じゃない。返せ。ちゃんとした私の娘を返せ。」
「なんで私ばっかりこんな目に遭うんだ。頑張ってるのに。こんなに頑張ってるのに。他の母親じゃなくて何故私ばっかりこんな目に遭うんだ。なんで私ばっかり。」
「みっともない。ああ恥ずかしい。恥ずかしい」
「普通になれ。何故普通に生きるだけのことがあんたはできないんだ。」
「治せ。今すぐ治せ。心の病気なんか気の持ちようで何とかなるから早く治せ。」
嘘だと思いたかった。笑顔が可愛らしかった筈の母は鬼のようになった。
いや、あれは鬼だ。私の大好きな人は鬼になってしまった。
違う、他の誰でもない『私が』大好きな人を鬼にしてしまったんだ。
残念ながら、「それ」は確実に私のせいだと思った。
私の傍に居たから母はおかしくなってしまったんだと思った。
私さえ居なければ、母はいつまでも優しい母のままだったかもしれない。
この「目の前で大声で吼えて泣き叫んでいる生き物」は私のせいで生まれたのだと思った。

わかるのだ。普通に考えたら母の気持ちはわかるのだ。
愛している人が苦しんでいる姿を見て、周囲が平気でいられるわけはなくて。
薬を飲んでも手術をしても治らない、いつになったら回復するかもわからない、愛する人がそんな状況に置かれて冷静で居られる人は恐らく少ないと。

でも光一くんは、あんな風に、ならないよね?
と心の中で問いかけたが、誰も答えてくれるわけはない。
信じていた。固く光一くんを信じてはいたけれど。
血の繋がった人すら瞬時に豹変する姿を目の当たりにした私は、そんな菩薩のような対応を大好きな大好きな光一くんに押し付ける資格などないことも重々承知していた。
光一くんが鬼になってしまったらどうしよう。
そうならない確証なんてないと、少なくとも私は知ってしまっていた。

私は病気の時もずっと生きたいと思い続けていたが、
覚えている限り一度だけ、弱音を吐いたことがある。
その時は本当に本当に激痛と吐き気が苦しくて、地べたに這い蹲ってのたうっていた。
いつもは我慢できる痛みだったのだが、夏で体力が落ち、心底苦しかったのだろう。本当に耐えられなかった。痛みのせいで意識ばいつもよりはっきりしていた。最悪だった。
母に向かって私はこう言った筈だ。
「こんなに苦しい毎日が続くなら、お願いですから誰か殺してください。
私はいつまでこんなに苦しまなきゃならないんですか?」
あの時母の顔に浮かんだ絶望を、私は一生忘れないだろう。
その後本格的に気絶しそうなくらいの激痛がさらに襲ってきた。多分私は気を失わないように
「お願いだからもう殺して」と。多分何度か叫んだだろう。
母のすすり泣く声が傍で聞こえた気がする。
私は地獄を見たことはないけれど、もし地獄というものがあるとしたらこれよりもっと酷いのだろうと思いながら、その後記憶が途切れてるので恐らく気絶でもしたのだろう。

大好きな人が目の前で苦しんでいる姿を見ることはどれだけ苦しいだろう。
剛くんだけでなく、私は光一くんが物凄く心配だった。
あの時の母のような顔をする光一くんは見たくなかった。
剛くんの病気は私のと全く違うからそんなことにはならないと言い聞かせてた。
剛くんも光一くんも、私とは違う、別個の人間だ。同じようなことになるとは限らない。
頭ではわかっていたけれど、「そんな風にならない」と断言もできない。
ならないでほしい、なるはずがない、
そう信じたい自分が居るのに、信じ切れなかった。想像ができなかった。
私は想像力が乏しい程には若く、未来を無邪気に信じられない程には大人になってしまっていた。



しばらく色々考えている間に、私が闘病前に医者に言われたことを思い出してしまった。
「恐らく、完治はしないと思っていてください。
こういった精神的な疾患についてはまだ未知数です(約20年前の話です)。
回復するのが、5年後なのか、10年後なのか、30年後なのか、誰にもわかりません。
ご本人もご家族の方も、一生付き合っていく覚悟をしてください。」

母は半狂乱になって叫んでいたっけ。
「10年とか、人事だと思って簡単に言わないでください!いつまで私たちは苦しめばいいんですか!今すぐ何とかしてください!この子のこんな姿を私は黙って何年も見てなきゃいけないんですか!何とか治してくださいよ!医者でしょう??」と。
医者は万能じゃないのだと幼かった私はその時初めて知った。
「治すのは、貴女本人の力が不可欠なんです」
何十年続くかわからない地獄のような日々が始まってしまったのだというショックのあまり、はあそうですかと、私はぼんやり答えるしかできなかった。
私の戦いはいつまで続くのか、そもそも何と戦えばいいのか、当時はあまりに知識がなかった。
ただ言えることは、私の人生は変わってしまったということだけだった。

それでも運よく私の症状は、10年経たないうちにやっと落ち着いた。
平坦な道ではなく、その間も症状は緩和されたり再度苦しんだりあったけど(結局数回悪化したし)。
・・・剛くんはいつまで苦しむのだろう。いつ回復するのだろう。
それは誰にもわからない。
5年?10年?もしくは・・・いつ終わるかわからないという事実が重く圧し掛かる。
それを見届ける元気は、当時二十歳そこそこの私にはなかった。
そもそも自分自身、いつまた再発をするかわからないのだ。
KinKiを応援し続けるということは、恐らくもう一度「あの私」を見続けることになるのかもしれないのだと、残念ながらその時に気付いてしまった。
家族にすら疎まれ、周囲から怠け者もしくは気狂い扱いされた「当時の私」が受けた仕打ちを心の底から大好きな人が受け続けていくというその姿を、もう一度最初から見ることになるのかもしれないと。


全部思い出してしまった。
「お願いだから私をそんな汚いものを見る目で見ないでください。そっとしておいてください。」
私は闘病時いつもそう心の中で叫んでいたことを。
人の視線が怖かった。
「独り」になりたくないのに「一人」で居たかった。
自分に向けられる侮蔑の視線が怖かった。
温かい視線を求めたわけじゃない。冷たい視線から逃げたかっただけだ。
「私をそんな目で見ないでください。お願いします。普通に生きてたいだけなんです。」
ただただ普通の生活がしたいだけだっただけなのになんでこんな目に遭うんだろう。

剛くんを見つめているだけで私は幸せだったけど、剛くんはそんな中、何を考えていたんだろう。
「もしかして、私たちが向けていた視線は、貴方にとってそんなに辛いものだったのですか?」
答えなんて出るわけ無いのに、問いかけずに居られなかった。
限界だった。
大量の記憶を無理矢理頑丈な箱に詰めて錠前をかけていたけど、鍵は一瞬で吹っ飛んで壊れてしまった。
箱の中身は反動で勢いよく全部飛び出てきた。再び詰めなおす気力は、なかった。


自分は弱い。ごめんなさい。
ごめんなさい。もう悲しいものは見たくないんです。普通の生活がしたいんです。過去は全部忘れたいんです。ごめんなさい。
剛くん光一くんごめんなさい。二人に救ってもらったのにごめんなさい。
もう何を信じたらいいのかわかりません。
そっとパソコンをシャットダウンし、KinKi Kidsから距離を置こうと決めたのです。
好きな人が苦しむ姿を見ているのが辛かった。ファンとして支えにならなければならなかったのに。
当時の私は薄情にも逃げてしまった。

しかし、一度思い起こしてしまった記憶はなかなか脳裏から離れませんでした。
そしてあの時感じた「いつまた私自身も再発するかもしれない」というぼんやりとした予想も、
数年後 残念ながらもっとずっと悪い形で現実のものとなってしまうのです。




くっそ長くなってしまったので、前後編にわけますー!