本日は3月11日。

3年前の今日は、未曾有の大災害 東日本大震災がありました。

marimoも旦那ちゃんも宮城出身なので、

両親、家族、親戚が殆ど皆東北在住です。

我々の生活や考え方が 本当に一瞬にしてがらりと変わってしまいました。


実際に東北で被災したわけではないことから

自分が何か云うのはおこがましいのかなと思ったり、

何より、故郷を離れてしまったことへの自責の念もあったりします。


恐らく今日の更新は湿っぽく長くなってしまうかと思いますが、

よろしければお付き合いいただけると嬉しいです。




震災の詳しい描写はここではしませんが、

取り敢えずあの日の私は半狂乱でした。

実家と連絡が取れたのは、夜も21時を回ったあたりで。

それまで自宅の電話に、義実家の電話に、携帯に

何百回も電話をしました。メールも何十回もしました。

狂ったように電話をする私を見て、通りすがりのおじさまから

「災害時は公衆電話がいいよ」と声をかけられまして

ものの試しにと公衆電話を使って自宅に祈る想いで電話をし

父の声を聞いた瞬間、



いがった(良かった) 本当にいがった 

ああ本当に神様ありがとうございますと泣き崩れました。

電話ボックスの中で

自分の声で身体が壊れるんじゃないかってくらい

全身で泣いた気がします。

父から家族皆が無事なことを聞くと、

私も夫も大丈夫だから心配しないでと、

それだけ伝えつつも

ありがとうございますありがとうございますと

壊れたレコーダーみたいにずっと繰り返しているうちに

電話は切れてしまって
(災害ダイヤルに切り替わってなかったらしくお金が切れた)

電話ボックスから這い出してからも

ずっとありがとうございますと泣いていた気がします。



夜中も0時過ぎたあたりで、やっと旦那ちゃんと合流。

待機所に設置されたテレビから何度も流れる津波の映像

ああこれは何かの間違いじゃないのかと思いました。

こんなことが起こるわけがない。

愛する地元に今こんなことが起きているわけがない。

何かの間違いだと、思いたかったけれど。





Virtual Realityの歌詞じゃないですが

『24時間 週7日間 途絶えることなく』
  宮城を想って過ごしている自分がいます(笑)

都会に憧れる友人も多い中、

私は宮城が本当に大好きで離れたくありませんでした。

のんびりした何気ない毎日がたまらなく愛しくて、

本当に、宮城から離れて暮らす自分など想像もできませんでした。


今も故郷を離れたことを、後悔しない日などない。

今も故郷を離れ暮らす自分に、申し訳なさを全く感じないわけではない。

今も故郷を離れたことに、寂しさを全く感じないわけではない。

でも、歩くと決めた場所で、歩いていく。

言い訳はしない、もう逃げない。

私は今、ここに居たいからいるのだ。

胸を張ってそう言えるようになりました。



でも、どこに居ても、変わらずに故郷を愛していて。

その愛を胸に抱いたまま、東京にて愛する人たちと過ごしてくのだろう。




だから

いつも「KinKi大好きー!!!」と叫びながらも、

「ああ、こういうことで叫べるのは本当に幸せなことだな」

と毎回同時に思うのです。

好きな人に 「好きだ」 と言える元気がある

楽しいことを目いっぱい楽しめる余裕がある

こんなに幸せなことがあろうか と

当たり前のことを
当たり前の顔して
当たり前にできているこの今この日々に

本当にありがとうございますとそう感謝せずにいられないのです。




   24時間 週7日間 途絶えることない想い

絶対にこの歌詞は恋愛的な感情のことであると

わかってはいるのですが 敢えてね(笑)言ってみる(笑)



どこに居ても、何をしてても、

故郷を、宮城を愛しています。

そして、戻れない自分を恥じることはやめようと思います。

きっと老後まで故郷に住むことができないけれど、

それでも想うことだけはどうか許してくださいと

毎日謝りながら

募金をしながら、故郷で暮らす人たちの幸せを祈りながら

今日も、これからもがんばります。



復興とか、そういうのについては、

言葉が足りないから上手く書けないのでやめておきます。

なんか自分の言葉が安っぽく感じてしまって。

文章力のせいなのかやはり・・・

本当はそういうことについて上手く発信できる人間になりたいのに。

今は自分の心の中だけで留めておこうと思います。



いつにもまして支離滅裂な文章ですみません、、、

一日も早く、被災者の皆さまが安心して過ごせる日が来ますように。