毎月の王羲之臨書課題で毎回、興味深いのが、どの様にして作品にしていくのか。

王羲之の手本は石碑から拓本しており、風化しあるべき線が見えなかったり、

余分な線が見えてしまったりしている。

初めて見る漢字、書き順、法則外のバランス、歪んだ線、誤字まであり、

まず、手本を見た時にどの線が本来のものかを見定めなければならない。

その上で、線質、文字バランスを王羲之の書から同じ様に予想をたて、変化させる。

あくまでも、行書らしい流れも考えながら。

 

古典の拓本のお手本から様々な知識と経験に基づく統計や法則による予想。

先生の指導力がなければ、自分の力だけでは作品にならない難しさをお稽古の最中に常に感じています。

 

 

また、王羲之の書のどの部分が向勢であり、背勢であり、ミックスされていることも教えていただきました。

次世代に続く、向勢と背勢の書の画一化。

褚遂良にしても虞世南にしても王羲之が基本であることを感じました。

和漢問わず古典の書家が王羲之の書を学び、王羲之が様々な古典作品に繋がっているのだと

ロマンを感じながら興味深く聞かせていただきました。

 

 

次に例え見定めたとしてもどの技法を使えば字体を再現できるか経験が必要となります。

具体的には、線のどこで筆を立てるかなど。

さらにそれを踏まえて、

石碑の細い線を作品らしく肉付けし、

形、空間のバランスをとりながら行書的な流れや線の勢いを加え、

半紙上に6文字を体裁よく書かなければならない。

房仙先生の知識、技術、空間把握能力、に指導力がなければ作品とならないのを強く感じます。

 

 

先生は指導されたことを正確に記憶しなさいと言う。

先生は技法、筆法、バランスといった「感覚」や「視覚」も全て言語化し、説明くださり、

何度も再現くださる。

筆の向き、太さ全てを言葉にし、丁寧にご指導くださる。生の凄さであり、スペシャルな指導法だと感じていま

 

長年培ったこういった技術やノウハウを惜しみなく私たちに教えてくださる。

書に臨めば臨むほど、そのありがたさに感謝しなければならないと強く感じています。

 

また、そういった技術を意識し、適用しながらも、

臨書は素直な気持ちで原本通りに書かなければならず、

自分勝手な字にしてしまっては作品にならない。

臨書を通して、技術だけでなく、心も鍛えてくださいます。

 

お稽古での学びの大きさ。

先生の存在の大きさを今月も感じさせていただきました。

 

3月も素晴らしいお稽古をありがとうございました。