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おにぎり高知市内にある城西公園

(文字通り高知城の西側にあります。)

この公園で友達とお弁当を食べました。

風にゆれる新緑が美しくて、

木陰に座ってお弁当を食べていると、

雀たちがよってきます。

食パンをちぎって投げてあげるとうれしそうに食べました。

緑に輝く木々や草花、

自然の中の小さな命の美しさ

そういうものに囲まれている時、
平和な感謝の気持ちになれます。

クローバー自然の優しさに包まれて

心のひなたぼっこをすることもたいせつですね。



2010年5月16日日曜日

松本マリア
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�さわやかなお天気なので、新荘川の川沿いにお散歩しました。

私の住む高知県須崎市を流れる新荘川の水はとてもきれいで、

風薫る気持ち良い散歩道です。

川沿いにある畑の中に、

可愛いお庭を発見しました。

大きなパンダがびっくりの、

秘密のパンダガーデンでしょうか?

家はなくて、畑ばかりの中に突然現れたガーデン

創られた方の、遊び心、笑顔が見えるようです。

最近、庭造りには、哲学があるなんて思います。

その方の心の一隅を表現しているように感じます。

ユーモアのある庭


優しさに心安らぐ庭

たくさんの人を招く庭

そう考えると

まず、自分の心の中の景色造りが大切ですね。

心の中に天国のような庭ができたら、素晴らしいですね。

みなさんの心の景色はどんなでしょうか?

松本マリア


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最近、教会の中にも、
うつ病などの心の病の方が多くなりました。

そして、日本は、自殺者も増え続けています。

皆さんは、このことをどう思われますか?

イエスは、羊飼い、罪の女、など、
その時代には、人々からさげすまれたはみ出し者や、
汚れたと見なされる病の人、
貧しくて無学な人など、

社会の中で認められない人々を
あえて、ご自分のそばに招かれました。

イエスの心は広くて、愛は無限に深いのです。

私たちは魚のようです。

神さまの無限大に広くて、深い愛の海で、
だれでも居場所があり、自由に泳げます。

クジラも、ハリセンボンも、フグも、居場所があります。

けれど、人間の社会では、職場や、家庭や、学校、教会でも

居場所が無いことが多くなりました。

小さな水たまりのような、浅くて狭い心では、
クジラもイルカも追い出されてしまいます。

その濁った水たまりに入れなくて、自分を責めている人々もいます。

居場所の無い、孤独な人々を見て、神さまは泣いておられます。

生きられない命を見て、神さまは泣いておられます。

冷たい人々の身勝手さを見て、神さまは泣いておられます。

何もしない私たちを見て、神さまは泣いておられます。

私たちはみんな神さまの大きな愛の中で居場所があります。


神さま、私たちに 、善いことをするチャンスを下さい。それを行うために愛と勇気ある心をお与え下さい。

全ての命に生きられる場所をお与え下さい。

あなたには不可能なことは何ひとつありません。

神さまわたしは感謝の心で待っています。
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テゼの村づくりをめざして、まず中心となる理念を考えてみました。

①私たちはイエス・キリストによって、あらゆるものから自由へと解放されています。

②その自由な心で、愛と信頼と希望を分かち合い、単純素朴な生き方を選びます。

③そして、祈りと歌によって、壁を取り払い、和解をもたらすものとなりたいのです。



ご一緒にテゼの村への歩みを始めましょう。


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2009年8月8日土曜日に、《平和を願うテゼの祈りの夕べ》というテーマで集いを開きました。

場所は高知市のカトリック江の口教会です。
時間は夕方の18時30分~20時15分

リラックスした姿勢で座り

歌の練習を20分くらいしてから、
少女2人のキャンドルの入場と感謝の祈りで始まりました。

テゼの単純素朴な歌と歌の間に、祈り、聖書やブラザーロジェの文章の朗読などが入り、何度か沈黙の時があります。

キャンドルの光の中で、歌や、み言葉に耳を傾けます。

沈黙の時に、一人ひとりに聖霊の息吹きが語りかけ、
心の耳が開かれます。

神さまが共にいて下さることを感じて欲しい、神さまの愛と平和に包まれた体験をして欲しいと願って、この集いを開きました。

参加者は50人くらいで、ちょうどゆったりと祈れました。

カトリックの方が多く参加されましたが、プロテスタント、未信者、フィリピンの方や、そのほかの国のかたも参加されました。

祈るためにちょうどの人数の参加者でした



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世界遺産を紹介する番組で、イタリアの中にある、断崖の上に造られた小さな独立国 サンマリノを紹介していました。

サンマリノという聖人が、キリスト教迫害を逃れて、仲間と共に断崖絶壁の上に住み始め、そこに人々が集まり、小さな独立国ができました。

現在の人口は約30,000人です。

「何ものからも解放する」というサンマリノの言葉により、自由 が大切にされています。

領土を増やしたり侵略をせず、戦争に対しても中立を守っています。

独裁者を作らないため、国のトップは2人制で、6ヶ月ごとに一般市民の中から交代するそうです。

私は、何ものからも解放するという言葉と、領土を増やそうとしない。…というところが素晴らしいと思いました。

人は罪に傾きやすい弱さがあります。私もキリストに許され、生かされています。

キリストを信じるものがなぜ、権威や肩書きを持つと人を支配したり、裁こうとするのでしょうか?

善意や正義や聖霊という名の下に 聖なる愛そのものであるキリストを苦しめる行いをしている自分の姿が見えないとは、
まさにキリストの言葉どおりに自分の目の中の丸太に気づかないで、見えると言い張る者でしょう。

心の中で人の自由を奪い、自分のやりたいように人の心の中にまで領土を増やそうとしてはいないでしょうか?

自分自身を見つめる清らかな目をすべての人が持てますようにと主キリストに願います。

by マリマグ
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キリスト者が互いに分裂し続けるとしたら、どうやって愛の神をこの地上に証できるというのでしょう。

目に見える一致に向けてあえて歩き出そうではありませんか!

共にキリストに心を向けるとき、共に集まり祈るとき、聖霊がすでにわたしたちを一つにしてくださいます。

謙虚に、祈りの中で、互いに属し合っていることを日々学んでゆくのです。

他の人々の気持ちを大切にすることをせずには行動しないという勇気があるでしょうか。

キリストと福音に近づけば近づくほど私たちは互いに近づきます。

歓待し合うとき、互いの賜物(たまもの)の交流が始まります。福音の呼びかけが聞こえるようになるために、これらの賜物すべてが今日(こんにち)必要です。

キリストに信頼を置いた人々は、その一致をすべての人に差し出すようにと招かれています。

そして神への賛美が沸き起こるのです。


(コルカタからの手紙)より …by ブラザーロジェ
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�あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる�

この地上のどこにいようとも、あなたは、自分の心の最も深いところにある神秘に触れようと望んでいるのです。

感じていますか…それがほんのつかの間であっても… あなたの内側にある静かなあこがれを。

それは、ひとつの現存へのあこがれ。

この単純素朴なあこがれ、この単純素朴な神への渇望、これはすでに信仰の始まり。

わたしたちの知らない方が、わたしたちのただ中におられるのです。
その方を近くに感じる人も、まだ隠されていると感じる人も、一人ひとりは驚きのうちに、その方がこのように語られるのを聴くのです。

「なぜ恐れるのか。わたしイエスはここにいる。わたしがキリスト。わたしが初めにあなたを愛した。あなたの内にわたしはわたしの喜びを置いた。」


…略
「テゼの源泉」より
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私の尊敬する、Dr.山本は、幼い頃にお母様に言われた一言が大きな支えになったと言われます。

それは、「あなたは神様に守られていますよ」という言葉だそうです。

私は、すばらしいな と思いました。

このように、愛と祈りのこもった言葉を、すべての子どもたちが言ってもらえるなら、恐れなく生きる力となり、幸せな子どもが増えるでしょう。


マザーテレサは言いました。

大切なのは、どれだけのことをしたかではなく、どれだけの愛をこめたかです。


愛をこめたまなざし…愛をこめたほほえみ…愛をこめた言葉 …

それらは、心をあたため、苦しみの中でも生きる力をあたえます 。


残念ですが、社会の価値感は、お金の損得、人との比較 、などが中心ですが、


神様の価値感は愛です。

神様の価値感で生かしあえる場を、互いに築きたいですね。


by マリマグ

���
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すべて命あるものの神、どうかわたしが、深い静けさと愛の中で、自分のすべてをあなたにゆだねることができますように。

現実の人間的なさまざまな思いの中で、自分のすべてをあなたにゆだねるということ、それは決して容易ではありません。

しかし、あなたはわたしのもっと奥深いところに入って来てくださいます。

あなたのこの愛は、私の中で希望となって輝くのです。


���


謙遜な祈りは、誰にでも可能なのです。

単純素朴な心で、キリストと共にただ見つめること、それはいつの日か、わたしたちとキリストを一つにするのです。

このことをよく知っていた使徒聖パウロは、こう記しました。

「わたしたちはどう祈るべきかを知りません。しかし、聖霊が弱いわたしたちを助けてくださり、わたしたちの内で祈ってくださるのです。」


���


信頼への旅…ブラザー・ロジェ著より