4月


国際結婚について


昨日のことですが、生徒さんとレッスン後に国際カップルについて

お話しをしました。

彼女は現在、妊娠初期でパートナーは私と同じフランス人です。


国際カップルというのは実は結構シビアです。

それは文化が全く違うからです。


生活習慣であれば同じ国籍同士のカップルも価値観がそれぞれ
違うので当たり前のことですが、子供から受けてきた教育、考え方が違い
それは言葉だけではありません。


言語が違うということは言葉の背景にあるものが全く違います。




うまく表現をするのは難しいのですが、日本語を
フランス語に変換したりフランス語を日本語へ返還するという言葉だけを翻訳
するだけでは足りません。


「何を持ってそういう感情が生まれる」かのベース
が異なるので、その根源となるものも含めて翻訳作業が必要です。

そこには、やはりコミュニケーションしかないのです。

日本語の美徳とされている1つに「言わなくとも相手の気持ちを理解する」、
「言葉の裏を読みなさい」というのは国際カップルではタブーです。
伝えないと分からないからです。


相手の文化に合わせた噛み砕くという作業が必要です。

そして、文化が違う人種なので、どうしても腑に落ちないことがあっても
これは「別の生き物」だと、そのまま相手を尊重し受け入れることも必要です。

生きている次元が違うので、もはや相手をコントロールをしようとは
思いません。


お互いの個性と文化をリスペクト、どのようにお互いの人生
と共存させていくかというのが国際カップルの生き方としては

大切なような気がします。


国際結婚とは、愛に溢れながらも人として成長をさせられるのも
奥が深いものです。



人は職業、肩書きではない



私が日本に対して残念だと思う1つは、職業で人を判断したり
肩書きで人を偉い、偉くないと決めるところです。

それは日本に住んでいる方、全員ではありませんが、比率と
しては他の国から比べて多いのは事実です。

本質を知らずに職業や肩書きで判断をすることは本当に薄っぺらい
ことだと思います。

どの職種に就くかではなく、

どれ程までに深く精通して魂を込めて仕事をするかです




なので、魂を込めた仕事はバスの運転手さんでも公務員
でもモデルでも芸能関係でも皆、等しく同じなのです。

要はそこに、情熱があるか、ないかということです。

仕事をしていなければ、仕事ではなく、勉学に学んでいることも同じです。

目的を持って、1つのゴールに向かって生きているということが全て、皆、
素晴らしい職業なのです。そして、そこに深く精通しているということも。

なので、私が2.3年後にインタビューの仕事としてパリに生きている人、
生きた人として本をかたちにして出したいのはそういう想いです。

子供がいる人、がむしゃらに生きている人、夢がある人、夢を見つけて
いる途中の人、家族と共に外国で暮らしている人・・・

有名や著名人ではなく、

今を一生懸命生きている皆さんが個々に素晴らしいのです。

それを私は彼ら彼女達の生きた証として綴りたいのです。



ルブタンと共にハネムーンでいらした生徒さん


今日は1Dayレッスンを受けに素敵な女性が素敵なご主人と共に
いらっしゃいました。

ハネムーンで東京からいらしている絵里奈さんです。





女性が美しくなるために欠くことが出来ないのは

男性から美しい言葉をかけられること。

そして、自分を包み込んでくれる愛する男性の存在も大切です。


素敵な女性には必ず素敵な男性がついています。

愛する女性を包みこむ優しさが共通しています。


女性は一歩、外に出ると無意識の内に戦士のように戦っているところ
があります。

それは人によって、周りの人にか、自分自身にかは

異なりますが、男性と同じように戦士の部分があります。


リラックス出来る住処があるというのは女性が

女性らしくいられる唯一の場所です。

勿論、私も同じです。husbandのお陰で「ここが私の帰る場所」だと
腑抜けになれる場所があるので、美意識が保てます。


彫刻のような美しい脚


私の生徒さんは非常に前向きです。

妊婦なので・・・、仕事が忙しいので・・・、子供がいるので・・・、
寝不足なので・・・と言い訳をしないのが、どの生徒さんにも共通して
いるところです。

もしかしたら、そういう言い訳をする方は私のところには波動が異なるので
必然としていらっしゃれないのかもしれません。





それは、私のベースがお一人お一人に対して情熱を持って、その方の
未来予想図を確信してレッスンを行っている強いものがあります。

全てにおいては引き寄せの法則が働くので、私の強いエスプリ、


思いが仕事にあるのでそこに共鳴する方が自然に集まるのだと思っています。

本気で教える分、本気で応えてくれる生徒さんが集まっているのが

今の状況です。

これも愛の1つです。

愛を与える私がいて、愛で応えてくれる生徒さん。

だから、いつも私はハッピーです。



自分に似合うお洋服の見つけ方


以前、生徒さんから洋服を選ぶポイントについて質問を受けたことが
あります。

私がその時に返した言葉は

「その服を着てテンションが上がるか上がらないか」

という単純な答えでした。




首元、デコルテがはっきりと見える、美しく身体を魅せてくれる

デザインなど細かいことはありますが、一言で言うと、

着てワクワクするかしないか、ということです。


個性に合うお洋服を選ぶことで、貴方の魅力を更に開花させてくれます


ハイヒールもそうですが、お洋服は着るもので人の魅力が変わります。
流行だからと選ぶのではなしに、自身を魅力的に魅せてくれるお洋服を
選ぶことが大切です。

それには、自分の個性を知ることが最も大切です。


「生活感が出る」ということは・・・


ところで、生活感が出ないようにするためにも美容院へ行ったり、
メイクをしたり外見の美しさを気にすることも大切ですし、

活き活きとエネルギーに溢れた生き方をする内側の美しさも大切です。


そこにあわせて、姿勢や歩き方も同じくらい重要な位置を占めます

特に姿勢に関しては、動かずに静止している状態でもどのように
生活しているか顕著に現れます

もし、そのような生活を送っていなくとも

姿勢のせいで誤解をされて映ります。

そして、それは背中に、はっきりと、顕れるのです。




背中が猫背のように丸くカーブしているだけで、どこか疲れている
ようで、自信がなく、ネガティブな印象を受けます。


ご想像出来る方ならば、それが美しくない姿ということはお分かり
いただけると思います。

さて、背中の筋肉ですが、どのようにすれば背中の筋肉が使わ
れるのでしょうか。

それは、デコルテを広げることです。

デコルテの横の筋肉が「痛気持ちイイ」と感じるくらい広げて
あげる程で丁度良いくらいです。


その感覚がなければ、まだ
デコルテの筋肉も十分に使われていません。


それ程までデコルテを広げれば背中の筋肉も付随しているので

背中の筋肉も使っていることになります




また、デコルテが広がっていないと腹筋も筋肉は付随している
ので腹筋は使われていない状態になり、お腹が出てきます


身体は1つのユニットですので、恐い程までに1つの筋肉が
落ちると全ての筋肉が落ちます。

筋肉が働かない状態が即ち、生活感が出るということです。

たくさんの身体の箇所を意識をするのは難しいと思いますので
まずはデコルテを思いっきり広げて生活をする習慣をつける
ことが最も実践しやすく、近道だと思います。

美は1日にして成らずです。



6年ぶりに再会した土地 Victor Hugo


パリに住んでいると敢えてエッフェル塔や凱旋門を訪れない
ように、以前、住んでいた場所に敢えて足を運ぶことはあり
ませんでした


16区にあるVictor Hugoです。






Victor Hugoは私が6年前に住んでいた場所なのですが、
それ以来パリに戻ってきてからも訪れたことはありませんでした。


Victor Hugo通り沿いをバゲットを食べながら歩いている自分を
何度も絶えることなく、ずっと日本でイメージし続けながら、
「パリに帰る」という想いを現実のものに引き寄せました。

6年前に生きていた土地を再び歩き、たくさんのことを感じました。

願いは諦めなければ叶うということ。
全ては必然なタイミングということ。
奇跡は必ず起きるということ。

そして、一番強かったのは感謝の気持ちでした。

私の夢は家族というオプション付きで現実化しましたが、全ては
感謝の気持ちから始まりました。

そして、今も変わらず感謝の気持ちは変わりません。



3年後の本の出版について


先日、「本を出す」ことについて綴りましたが、この本というのは私の
インタビューの作品集です。

私のインタビューの作品集は「パリのエスプリ」です。

これはパリで生きている人、パリで生きた人とパリが軸です。

一流企業の社長やハリウッドスターなどの有名な方はたくさんの
インタビューを受けていますが、そういった著名人でなくとも魅力的
な方はたくさんいます。


表には出てきませんが、私から見ても本当に素晴らしい方はいます。



職業、年齢、環境は全く違いますが、そういった素晴らしい方の人生こそ、

人生を吸収したいと思うエッセンスになります。

このインスピレーションのきっかけは、やはり生徒さんでした。

生徒さんは実に様々な環境、境遇ですがいつもレッスンでお会いする
度に私が刺激をいただいています。


彼女達の人生のエッセンスを私だけが閉じ込めておくのは

勿体ないという思いがきっかけでした。

これは、私の表現者としての仕事です。

これに於いては肩を張らずにマイペースで進めていきたいので
3年後を目標にしています。
何気ない、日常の等身大のパリを映し出したいと思っています。

誰もが一人一人、素晴らしい生き方をしています。
それが私が表現者として伝えたいことです。


一人で過ごす時間


久々に「忘れていた感覚」を思い出しました。

私の人生の軸は家族ですが、家族に包まれていても

一人で過ごす時間は意識して壊れないように心がけています。

昔から一人で過ごす事が好きだったので、日本に住んでいた頃も
海外旅行も含めて旅は殆ど一人でした。


友達と旅行することが私の性格上、

人と行動を合わせることが出来ないので難しいのです。


もしも、一緒にその土地を味わうならば現地集合、現地解散か
ランチとディナーは一緒でもその他の時間はバラバラといった感じ
になると思います。


自分に興味がないことに貴重な時間を費やした
くないのと、相手にもそれを強制したくないからです。



いつも私は一人で過ごして
いました。一人でいると出逢いはたくさんあります。

周りからみると「一人」というのはどこかミステリアスに感じられ
相手に興味を持ってもらえるきっかけになるのだと思います


これまでの人生を振り返り、人生のポイントで出逢って来た人は
全て私が一人で過ごしている時でした。husbandも然りです。

もし、最近、自分に出逢いがないと感じたら、一人で色々な場所
へ行かれてみてください。それも1回、2回で出会わなかったからと
諦めずにその行動を続けることが大切です。

そうすると、一人で過ごす筋肉がついてきます。

自然と「間」を味方にすることができます。それも1つのオーラとなり、

より周りの方を魅了します。


ハイヒールを履くという責任とは


今はもう無意識のレベルとなって
いますが、ハイヒールを履くにはハイヒールを履くという責任があります。

ハイヒールへの責任はハイヒールを痛めずに且つ美しく歩くという外側の
部分と、もう1つはマインド、生き方の部分です。





一流のハイヒールはデザイナーの歴史と想い、

職人の魂がたくさんつまっています。

そこにハイヒールを履いてせわしなく歩いたり振る舞いをしては、

せっかくのハイヒールの美しさが台無しになってしまいます。


そういう振る舞いをするならば、一層のこと、せわしなく歩ける
スニーカーで十分なのです。

では、そのためにどうしたら良いかということですが、いつもゆとりの心を
持って生きること。時間に余裕を持って生きることです。


せわしない行動や急いでいる姿は美しさが半減します。

美しいハイヒールを履くための責任と思い、私が心がけていることです。
すなわち、これはハイヒールへのリスペクトの思いからくるものです。

一流といわれているものには、必ずその背後にその仕事に携わる方の
深いエスプリが込められています。それはサービスだったり、

技術だったり商品だったりしますが、一つ一つにそれは存在します。

その思いを感じることがエレガントに

深く生きれることなのではないでしょうか。