宮澤賢治の「よだかの星」の解説を読んで大泣きしてしまいました。そもそも寝る前の読書の習慣はぐっすり眠るためだったのに。
自己犠牲のお話です。よだかは鷹で、虫を食べて生きています。でも、この鷹は他の命を食べないと生きていけないことに気が付きます。
これは私の中で結論が出ない問いでもありました。お肉は美味しいです。でも、牛の画像や豚さん、鳥さんを見ると、罪悪感を感じてしまいます。その度に、ヴィーガンになろうかなとちらっと頭を掠めるのですが、豆だって生きているわけで、牛を食べるよりは罪悪感はないけど、大なり小なりで同じことだと。
結論の出ないまま、美味しいお肉を食べた後に、たまに罪悪感がやってきます。
今度こそ、今現在でいいから自分なりの結論を出そうと思いました。
そこで、頭に浮かんだ案は、「他の動物のお世話をしよう」と思ったのです。今までも動物の世話はしていましたが、牛さんブタさんの食べてしまった命はもうどうすることもできないので、身近にいる動物に対して、その意識を持って接しようと思いました。
すると、鳩の亡骸に出会いました。誰かが道路の端に寄せてあげたのか、子供たちが周囲で死んでいると言いながら見ていました。
そういえば、私の父は鳩の亡骸を家の庭に埋葬したことがあり、そうか生きている動物だけでなく死んでしまった動物の世話も「世話」の中には含まれるんだと思いました。
しかし、その時は出かけるところだったので、そのままにして出掛けました。帰宅後、新聞紙と紙袋を持って亡骸を拾いに行きました。亡骸を持ってコンビニに入るのは避けたかったので、先にコンビニでハイボールを買って向かったところ、私の目の前を1匹の猫が走って行き、鳩の亡骸を口に咥えて、マンションのフェンスの向こう側に運んでしまいました。
これは、えー、どういうこと?
コンビニに寄っていなければ、私の方が早く到着したはず・・・。
私は手ぶらで帰り、ハイボールを飲んで寝ました。
そして、今日、マンションのフェンスの先で見たものは、散らばった鳩の羽根と胴体だったと思われるほんの少しの身体、ほとんど猫が食べたのだと思います。残りにはハエが群がり、アリもいたかもしれません。
私はわかりました。わかったと言っても、ちょっとだけですが、こうやって、命が繋がっているんだとわかったのです。
鳩の死によって、猫もハエも生き延びられるってことを。
私の罪悪感は小さくなりました。
今後も継続して考えて行きたいテーマです。
それにしても、あの猫はびっくりしただろうなと思いました。猫になんで持って行ってしまうのかと質問したら、「お前こそ、なんでこの鳩を欲しがるんだよ」って不可解な顔していました。
ごめんね。
賢治の「よだかの星」は、100分で名著で解説を読んだだけなので、小説も読んでみたくなりましたが、ちょっとかわいそうなお話で、泣いてしまいそうなので、やめておきます。
今回のことはずっと考えていると意味のあることが起きるという一例なのか・・・。この世界ってどうなっているんだろうと思う瞬間でもありました。