それはまるで事件のようなものだった。

場所は六本木から飯倉にむけて少し行ったところにあった『クラブ オデオン』というディスコと現在のクラブの中間のような店だったな。飯倉片町の交差点を中国飯店前を通り過ぎて右に曲がったところ。今でもよく憶えている。日本のバブルの真っ盛りに東京に居た16歳のあたしはまさに花のTOKYOを充分に謳歌していました。


あたしは六本木のホストクラブのオーナーとニューハーフを何人か連れて遊び歩いていた。
銀座のお店を『休んでいた』のでお金はあったから友達のいない東京で遊んでもらっていたのだった。


何故、お店を『休んでいた』のにお金を持っていたかと言うと、具合が悪くて休むこともあったが、仮病で休むことも多かった。

すると、飲みに来たお客さんがあたしが休んでいると知ると『お見舞金』を置いていってくれた。
その額は、時おりン百万円になったので、もしかして、今考えるとバイト(お店)に行くよりお金になった。


そのお金をキレ~イに蒸発さすのだ。跡形もなく。毎回。笑。


たいがいはヴァレンチノやアルマーニなどに消えたが、半分近くはあたしと、
あたしに付き合ってくれる遊び友達や友人達の血となり肉となり、
残り、後の行方は地球の血となり肉とされたと思う。



当時の『オデオン』のVIPは面白かったなあ。今となっては名前はちょっと言えない俳優や女優、今も現役ばりばりのひともいた。


なんせ普通にティエリー・ミュグレーとかが「どう今夜?はいってるぅ?」
なんて言って取り巻きのモデル(男性だけ笑)と覗きにくるのである。


あたしはその当時、そのめっさ流行っていたファッションブランドのデザイナーであったT・ミュグレーに会えたことがすんごい感激だったな。なんせ12、3歳の頃から彼の洋服を着ていたのであるからして。


まあ16歳当時のお遊びの武勇伝には事欠かないし、結構ぶっ飛んでる人も多かったけど、今みたいに殺伐としていなくてね。純粋でしたよ。とっても面白い話も多いけどさ、だけどそれにその当時の話はオフレコも多くてね~もう付き合いが切れてるとはいえ、今もこの東京のどこかで活躍しているはずの彼らの、昔の友達の話はやっぱ出来ないや、あたし笑。ゴメンネ!あは。


まあとにかくその当時は若くても、そうでもなくても、大金持ちも、そうでもなくても、本当にいい男が多くて、(今もいい男はいるけど確実に少なくなったね。それよりいい女が少ない。いい男の数より)彼らの話のほうが面白いものあるんだろうけど、また今度にするわ。


そうそう、そういう大金持ちからそうじゃないひとまで、まんべんなく分け隔てなく付き合うから、随分、分からない思いもしたものよ笑!ってかここは笑←より(苦笑←やな。


そういうめちゃくちゃな、ってどんなめちゃくちゃな笑?
16歳という一番年下の阿片窟のような溜まり場の女主じは、26歳とか、38歳とか…レギュラーは常に3人はいてね、割と有名な女優、有名作家の娘、ファッション関係のビジネスマン、香港の金融マン。ビルボードに出て日本人で初めて上位にランクインしたDj。K大の工学部中退でヤクのディラー。有名なヤクザの娘!そして、インターポールに追われ、世界で最も有名な英国のあのバンドの専属の……言えねえー笑。そんな秘密の部屋は実は高輪のあたしの部屋でした。そう、時効だから言いましょう。そうですあの方が借りあげてくてれましたの、あたすのために。ああああこれ以上言ったらころされまますわ。でもドラッグはやんなくてよかったわね。知らずにお酒と咳止め薬を一緒に飲んで怒られたくらいでね笑。酔ってカラスの物まねして怒られて、くらいなもんよ。まあ淡い思いでよね。

そんなあたしがその頃に知り合った桐島ノエルちゃんと再びお会いできるようになったんもまたね、素敵なご縁でつながりましたよ。
彼女は今も最高に素敵な女性です。昔の話から先日の再会のお話しを桐島ノエル先生の許可をいただきましたので、少しお話ししたいとおもった。

あたしが去年上京した時にはどうしてるのか、会いたいなあという気持ちにはなっていたが、コンビニやなんかで雑誌の表紙を飾る彼女や、彼女のお姉さんのお顔や、雑誌の頁に彼女のお母様や弟さんが掲載されていたりするのを見ると、無性に会いたくなったりすることもあった。でもあたしは彼女の活躍をメディアなどで知っていたし、あまり日本にいないことも情報として知っていた。どうしてるのか、会いたいなあという気持ちにはなっていたし、出版社を通じて連絡や手紙を出したり、探してコンタクトを取る事は不可能ではなかったが、あえて止めておいた。それにあたしは彼女とケンカ別れしていたし。

会える時がくれば、そのうち会える


あたしはそう考えていた。しかも去年から再び上京し、昔とは違った立場で、色んなものを背負い、覚悟をもって来た若くもないあたしは、実際に色んな環境に適応するため、諸問題に対応するためじっと我慢する時期に彼女をたどってもなんの意味もないものと思えた。作家の卵がその道の大家の娘に、しかも昔の悪友に。連絡を避けたのは、思いで話をしたいだけ、とは思ってもらえないかも知れないからだった。

そして、先の『おもひでばなし1』のような驚くべき偶然というか必然?でご縁が再び繋がったのです。


若いころからずっと切れてない友達って居ますか?


若しくは切れてもまた繋がる友達、いつ会っても、立場が違っても友達で居られる友って何人いますか?


利害関係の一切ない友人って、今あなたの周りに何人いますか?


利益関係があったとして、本音を話せていますか?


あっちではこっちでの話を、こっちではあっちでの話を、無節操にしていませんか?



人を利用したり、潰したり、押さえたり。でもいざ売れそうになったら自分がさも力になってやった、みたいに吹聴したりと企んだりしませんか?でも、たいして伸びそうになければやっぱりねって足を引っ張ったりしませんか?


そんなひとばかりだと聞いたらやっぱり恐いです。


けどそれがあたりまえなんですね。



だからその当たり前の所にいないでいいように頑張るしかないねえって。



それしかない。





その人も、いつも尊敬してるというような人に裏ではこんなつまらないもの要らないわよねえって言われて仲間うちで笑われてるの知ったら何て思うんだろう。


あたしはそれを聞いた時、じゃあ何でいつも仲良くして買っているんだろうって思ったんだけれど。。

あたしにはよく分かんない、そこらへんのそういう人間関係が。




体裁をつけたがる嘘つきの近くにいるとほんっと疲れるんだよ。






だからばいばい。










逆に言うとね、そういう体裁をつけたがる嘘つき連中はあたしがすっごく苦手らしいよ爆!














体裁を振りかざして噓をつくのは普通の女の習性なんだってさ。



みんなそうだから、驚くことはないんだって。





























それはまるで事件のようなものだった。

場所は六本木から飯倉にむけて少し行ったところにあった『クラブ オデオン』というディスコと現在のクラブの中間のような店だったな。飯倉片町の交差点を中国飯店前を通り過ぎて右に曲がったところ。今でもよく憶えている。日本のバブルの真っ盛りに東京に居た16歳のあたしはまさに花のTOKYOを充分に謳歌していました。


あたしは六本木のホストクラブのオーナーとニューハーフを何人か連れて遊び歩いていた。
銀座のお店を『休んでいた』のでお金はあったから友達のいない東京で遊んでもらっていたのだった。


何故、お店を『休んでいた』のにお金を持っていたかと言うと、具合が悪くて休むこともあったが、仮病で休むことも多かった。

すると、飲みに来たお客さんがあたしが休んでいると知ると『お見舞金』を置いていってくれた。
その額は、時おりン百万円になったので、もしかして、今考えるとバイト(お店)に行くよりお金になった。


そのお金をキレ~イに蒸発さすのだ。跡形もなく。毎回。笑。


たいがいはヴァレンチノやアルマーニなどに消えたが、半分近くはあたしと、
あたしに付き合ってくれる遊び友達や友人達の血となり肉となり、
残り、後の行方は地球の血となり肉とされたと思う。



当時の『オデオン』のVIPは面白かったなあ。今となっては名前はちょっと言えない俳優や女優、今も現役ばりばりのひともいた。


なんせ普通にティエリー・ミュグレーとかが「どう今夜?はいってるぅ?」
なんて言って取り巻きのモデル(男性だけ笑)と覗きにくるのである。


あたしはその当時、そのめっさ流行っていたファッションブランドのデザイナーであったT・ミュグレーに会えたことがすんごい感激だったな。なんせ12、3歳の頃から彼の洋服を着ていたのであるからして。


まあ16歳当時のお遊びの武勇伝には事欠かないし、結構ぶっ飛んでる人も多かったけど、今みたいに殺伐としていなくてね。純粋でしたよ。とっても面白い話も多いけどさ、だけどそれにその当時の話はオフレコも多くてね~もう付き合いが切れてるとはいえ、今もこの東京のどこかで活躍しているはずの彼らの、昔の友達の話はやっぱ出来ないや、あたし笑。ゴメンネ!あは。


まあとにかくその当時は若くても、そうでもなくても、大金持ちも、そうでもなくても、本当にいい男が多くて、(今もいい男はいるけど確実に少なくなったね。それよりいい女が少ない。いい男の数より)彼らの話のほうが面白いものあるんだろうけど、また今度にするわ。


そうそう、そういう大金持ちからそうじゃないひとまで、まんべんなく分け隔てなく付き合うから、随分、分からない思いもしたものよ笑!ってかここは笑←より(苦笑←やな。


そういうめちゃくちゃな、ってどんなめちゃくちゃな笑?
16歳という一番年下の阿片窟のような溜まり場の女主じは、26歳とか、38歳とか…レギュラーは常に3人はいてね、割と有名な女優、有名作家の娘、ファッション関係のビジネスマン、香港の金融マン。ビルボードに出て日本人で初めて上位にランクインしたDj。K大の工学部中退でヤクのディラー。有名なヤクザの娘!そして、インターポールに追われ、世界で最も有名な英国のあのバンドの専属の……言えねえー笑。そんな秘密の部屋は実は高輪のあたしの部屋でした。そう、時効だから言いましょう。そうですあの方が借りあげてくてれましたの、あたすのために。ああああこれ以上言ったらころされまますわ。でもドラッグはやんなくてよかったわね。知らずにお酒と咳止め薬を一緒に飲んで怒られたくらいでね笑。酔ってカラスの物まねして怒られて、くらいなもんよ。まあ淡い思いでよね。

そんなあたしがその頃に知り合った桐島ノエルちゃんと再びお会いできるようになったんもまたね、素敵なご縁でつながりましたよ。
彼女は今も最高に素敵な女性です。昔の話から先日の再会のお話しを桐島ノエル先生の許可をいただきましたので、少しお話ししたいとおもった。

あたしが去年上京した時にはどうしてるのか、会いたいなあという気持ちにはなっていたが、コンビニやなんかで雑誌の表紙を飾る彼女や、彼女のお姉さんのお顔や、雑誌の頁に彼女のお母様や弟さんが掲載されていたりするのを見ると、無性に会いたくなったりすることもあった。でもあたしは彼女の活躍をメディアなどで知っていたし、あまり日本にいないことも情報として知っていた。どうしてるのか、会いたいなあという気持ちにはなっていたし、出版社を通じて連絡や手紙を出したり、探してコンタクトを取る事は不可能ではなかったが、あえて止めておいた。それにあたしは彼女とケンカ別れしていたし。

会える時がくれば、そのうち会える


あたしはそう考えていた。しかも去年から再び上京し、昔とは違った立場で、色んなものを背負い、覚悟をもって来た若くもないあたしは、実際に色んな環境に適応するため、諸問題に対応するためじっと我慢する時期に彼女をたどってもなんの意味もないものと思えた。作家の卵がその道の大家の娘に、しかも昔の悪友に。連絡を避けたのは、思いで話をしたいだけ、とは思ってもらえないかも知れないからだった。

そして、先の『おもひでばなし1』のような驚くべき偶然というか必然?でご縁が再び繋がったのです。


若いころからずっと切れてない友達って居ますか?


若しくは切れてもまた繋がる友達、いつ会っても、立場が違っても友達で居られる友って何人いますか?


利害関係の一切ない友人って、今あなたの周りに何人いますか?


利益関係があったとして、本音を話せていますか?


あっちではこっちでの話を、こっちではあっちでの話を、無節操にしていませんか?



人を利用したり、潰したり、押さえたり。でもいざ売れそうになったら自分がさも力になってやった、みたいに吹聴したりと企んだりしませんか?でも、たいして伸びそうになければやっぱりねって足を引っ張ったりしませんか?


そんなひとばかりだと聞いたらやっぱり恐いです。


けどそれがあたりまえなんですね。



だからその当たり前の所にいないでいいように頑張るしかないねえって。



それしかない。





その人も、いつも尊敬してるというような人に裏ではこんなつまらないもの要らないわよねえって言われて仲間うちで笑われてるの知ったら何て思うんだろう。


あたしはそれを聞いた時、じゃあ何でいつも仲良くして買っているんだろうって思ったんだけれど。。

あたしにはよく分かんない、そこらへんのそういう人間関係が。




体裁をつけたがる嘘つきの近くにいるとほんっと疲れるんだよ。






だからばいばい。










逆に言うとね、そういう体裁をつけたがる嘘つき連中はあたしがすっごく苦手らしいよ爆!














体裁を振りかざして噓をつくのは普通の女の習性なんだってさ。



みんなそうだから、驚くことはないんだって。








杉本マリカ
甘い背徳感とそれを繋ぐ錯覚の鎖。狐と狸の化かし合い。


ありもしない品性と、体裁を貞操を振りかざして女を売る狡猾さ、滑稽さには軽蔑と冷笑しかない。

口ではどんなにぶっていても、やってることに品性が欠落し過ぎている。


己の行動を客観的に見れれば恥ずかしくてとても口には出せまいに。なのに己をして品がある、などという言葉が出てくることには憐れを通り越して笑止千万。

久しぶりに失笑した。


品と品性は違う。


どれだけ飾った言葉で上品ぶってみても。
どれだけか弱い女を演じていても。



女という幻想をもたない者には通用しない。
女を利用するならまず、人間性に品性を宿してからのほうがいいのかも。


下品も品のうち。とはよく言ったものだね。









可愛らしく、美しく、身も心も装って、やることがえげつない女の子って実は沢山いるよ!


猛禽をもっと意識的にしたような。。





ああ嫌い…