今日 数年ぶりに友人に会いました。
会話の中で共通の友人の話題になりました。
跳びおり自殺して、たまたま助かった友人。
なんやかんやあり、今は行方不明になってしまった。

ふと、彼の絶望が自分の子供時代とダブった。
ただ生きて希望も夢もなく、楽しいと思うことなく、学校と家の往復だった日々。
若い十代に絶望し、恐ろしく本を読み、学校の図書館の文学書を読み尽くした。本を読んでいたのも、時間つぶしだった。なぜにそんな砂を噛むような毎日を生きていたのか…

しかし、今 振り返るとあまり変わっていない生き方をしているのではと?。
他人や自分をごまかすのが出来るようになったぐらいか…


先ほどの彼が言った言葉
「この歳になると、もう未来がどうなるのか見える。死ぬまで生きているにしか過ぎない。 」

彼は今も生きているのだろうか?

そして私は…

↑ここまではミクシに乗せて消した記事でした。

この日 他の出来事も私を打ちのめした

以前の職場で民営化で解雇
これは仕方ないと受け入れたが
実は正社員の女性の裏取引が行われ、非常勤が切られた
なぜか?正社員の給与を下げるなら非常勤を切るようにした。

しかし・・・ありえんはずの会社
なぜなら、この会社は労働組合
雇用を守るべき会社

それから4年後

正社員の女性が2人が退職で 空きが出るので
そこの会社の人が私の友人を推薦で入れたいと言ってきた。

私ではなく・・・

その理由は年齢

ふたたびこの会社に傷つけられるとは・・・

世の中 努力してもどうにもならないことがある。
世間に言われる努力すれば報われる、頑張ればなんとかなる!年齢は関係ない などの言葉が
むなしい

良い仕事、良い家庭 良い○○○ 等
最初から考え、計算して手に入れないといけないと
思い知らされる。

事実は人生にやり直しはきかない



私は敗者
絶望感が広がっていく。



2009-11-01 十一月の坂をくだった

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どこかで降り始めた雨のしたで見失ったひとを

ただ思い出したいと思って雨を待った

月が変わる

言葉で感じる女を無言で抱くように月が変わる

永遠に似た時間が一瞬で過ぎてゆく


どうやって忘れたらいいのかという問いを

どうやって思い出したらいいのかという言葉で問いながら

どこかで降り始める無言の雨を待った

液状の土に混じって

二度と帰れない砂漠に向かって涙を流した

全円の曇り空の一日を愛した


ぼくたちに似た河を探しながら十一月の橋を渡り

十一月の坂をくだった

灯りの半分が点される夜には無傷の雨を待った

光が汚す道のりを闇が清める十一月

隠された星になって

満たせない女がぼくを待っている

真昼の蝶が降りてくる Add Star


鉢植えに真昼の蝶が降りてくる反対側の窓辺から世界は開く

陥落した街を気にやむことはない

砂で手を洗い

薄い毛布のなかで靴を脱ぎ

見たこともない映画のワンシーンに涙を流せばそこから川が始まる


去ることを忘れて鉢植えの下で漆黒の蝶は死ぬ

誰かが見えない舞いを舞い

それに合わせて別の誰かが鳴らない笛を吹いている

季節を受け入れてみる

きみの軽すぎる羽根さえ地に落ちることにぼくは驚く


遠ざかるものの由来を問いながら誰かの手のなかを歩み

誰かの靴音となって街角を折れてゆく

やんだばかりの雨をずっと待ちつづけている

去ることを忘れていたのに去ってゆく誰かの時のなかで

ひとは時間を取り戻す