MARI ISHIDA -12ページ目

MARI ISHIDA

石田まりのブログ

今日は、新聞もテレビも、震災&復興のニュースで持ち切りですね。

3・11・2011、誰もが、あの日、あの時間、自分がどこでどんな気持ちで何をやっていたか、覚えているのではないでしょうか。

そして、その日から、多くの人の、生きる意味も、生活も、変わったんじゃないかと思います。


そして今日。自分がこの2年で何ができたのか、考えるよね。。


私は、陸前高田市に、復興支援ライブで2回行ったっきりだなあ。
もちろん常に想いはあるし、物資支援をしたり、献金もしていたけれど、やはり2回しか足を運んでいないことには、胸が痛い。

私の地元の新潟市も、結局がれきを受け入れなかったりして、すごく残念に思った。
(長岡市がしてくれたから良かったけど。。)新潟だって、反対してたのはごく僅かで、ほとんどの人は賛成なはず。
ごく少数の反対で、物事が進んでない現場も多いんじゃないかな。


2011年に、陸前高田市に行って、帰ってきた後に書き留めたことを、ここでシェアするよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

”It's always better to give, than to receive.”

この言葉は、今回東北に行くにあたってずっと心に響いていた。

夜が明けようとする、まだちょっと暗い中、バスは陸前高田の街を通った。
街だった場所。。
かろうじて残っている数カ所のビルも、中はくり抜かれ、窓はなく、コンクリートの下の骨組みが見えていた。

テレビでは見ていたが、やはりそこに実際にいるのは全く違う。
ぞっとした。

そして何か、坂本龍一とか、ジブリのような音楽が頭の中で流れた。
悲しく、非日常的で、人の儚さや、喜びと悲しみをごっちゃまぜにしたような音だった。

イベントは大成功で、地元の人とも話す事ができて本当に良かった。
自分の祖母を思い出すようなおばあちゃん達や、独身の看護師さん、避難所で仲良くなったという女性のグループ。建てて3年目の家が流されて、ローンが(計算で)75歳まで残ったと40くらいの看護師さんは言う。ドリカムの大ファンで、彼等の被災地でのライブを楽しみにしていた。

みんな明るくて、がれき撤去でこんがり日焼けしたおじさん達も次々に挨拶してくれて、"来てくれてありがとう”と。
こんなんで良ければ、いつでも行くよ!!と思った。

演奏中も、暑くて汗だか涙だか分からないような状態で、顔がずっと濡れてた。
大変だったのに、すごく辛かったのに、演奏に対して拍手をしてくれている。
"ごめんなさい”って、何故か申し訳ない気持ちと、この人たちが、絶対守られますように、という祈りがあった。
申し訳ない気になったのは、自分たちがはげます側にいる事に対して。
本当にもっと寄り添って、分かちあいたいと思った。

(続く。。。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー