2024/8/21
東北は雪が降るから、東京よりも夏休みの終わりが早い!
私もそうだった!(福島)
ということで、骨折でサッカーができなくなって夏休みは急遽東京で過ごすことになった次男が盛岡へ帰りました。
昔おばあちゃんが言っていた言葉を思い出します。
来るのは嬉しいけど、帰ったあとが辛い
まさに、その通り。
まだ15歳のかわいい次男。
帰ってきたらきたでやっぱりご飯ばっかり作ったり、やたら友達がくるから消毒したり(白血球がすごいさがってたから)で体調的にしんどいと思ったけど、やっぱり神様がくれた大切な時間でした。
だらしなすぎて喧嘩になったりもしたけど、まだまだ生きねばと強く強く思った1カ月でした。
そして今回気づいたこと。
息子たちが揃って、とても幸せな時間でした。
ごまちゃんもとっても嬉しそうでレオにべったりしていました
でも私は放射線治療と抗がん剤治療中で、せっかく帰ってきてるのに、思うように体が動かない日が数日ありました。本当に動けない日は1.2回だけど、やはり体力がすごくなくて、買い物行ってご飯作るのも休み休み数時間かけてやっていました。
やってあげたいという親心と、思春期息子たちのぶっきらぼうな態度は、ぶつかる原因にもなります。
やってあげたい、、無理して動いたのは自分なのに、ごまちゃんの散歩の押し付け合いとか食べた皿も下げないとかちっちゃい些細なことなんだけどね。
それが、私のことなんてなんとも思ってないんだなって思ってしまってやるせない気持ちにもなりました。
深掘りして考えると、私は片親でかつ、父親とも疎遠で、今回癌になってからも会ってはいません。
10年以上会ってないし。。お互い思いはゼロではなくとも修復は難しい。
そう思うと、私は普通の人が思うような親を思う気持ちがわからないし、その気持ちの存在に否定があるのかもしれません。
でもね、
そんな話を昨日友達たちと話してる時に、
子どもたち、お母さんが膵臓癌のこといっつも頭の片隅にあって、心配だし、逃げたいしイライラするんだよ。お母さんのこと大好きに決まってるでしょ。
って言われて、ハッとしました。
私の人生の価値観と子どもたちは違う。
今心の中で生まれる気持ちに名前や置き場が決められないのは私も一緒。病気になって、自分のドロドロした気持ちや、もう頑張りたくない気持ち、もうどんなこともどうでもいいやって思う気持ち、48年間生きててはじめて認識した自分の心に向き合あのがとても辛い時もあります。
だから話してて直ぐ涙がでてしまう。
48歳の私でさえできないんだもんね。
子どもたちと一緒に成長して、一緒に乗り越えるんだなって思いました。
それが家族なんだなと思ったら、私が一番欲しかったもの手に入れられたんだなって思いました。
子どもたち友人たち、いつも感謝です。
さて、第二幕!
レオ頑張れ!
ママも頑張る!