大腸がんと母と娘の闘病記 -2ページ目

大腸がんと母と娘の闘病記

大切な母が大腸がんに…。母を応援する娘の闘病記です。

とてもとてもお久しぶりです。

母が去年の12月24日、クリスマスイブに亡くなりました。

気持ちの整理が付かず、なかなかブログも書けませんでした。

今日は月命日なので、午後から仕事の休みをもらって母に会いに来ました。

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最期の日。


調子が悪かった母に付き添って、私は病院に泊まっていました。

母はなんだか息が苦しいと言って、体をどこに持って行けば良いのか分からない感じで、ゴロゴロ横を向いたり、ベットを起こしたりしていました。

手足はすごく冷たいのに、顔に汗をいっぱいかいていて暑い暑いと言うので、私はずっと扇子で扇いでいました。


「眠らせてほしい」


母はずっと最期は苦しみたくないから、分からないように眠らせてほしいと言っていました。

先生や看護師さんにもずっとお願いしていました。


でもその時は血圧が低すぎて、今睡眠薬を飲んでしまうと余計に血圧がドンと下がるかもしれない、心臓が止まってしまうかもしれないと言われました。



私は決心が出来ませんでした。



母は一晩中ゴロゴロ、顔に付けてる酸素を分からないうちに取ってしまったり、点滴も抜けてしまったり、ずっと動いて体の置き場所を探していました。

朝になり父と叔母が来て、看護師さんから説明がありました。

もうあまり時間がないこと
会わせたい人には連絡してください
帰りに着せて帰りたい服を取って来てください


看護師さんも涙をためて話してくれます。


その頃から母は体を動かさなくなり、顔も穏やかになって、私は苦しいのがおさまって良かったと思っていました。

様子を見に来た看護師さんから廊下に呼ばれて、娘さんとご主人はもう離れない方が良い。
母に最後に着せる服は別の人に頼んで持って来てもらうようにと言われました。

叔母に頼み、私達は母の側にいました。


それから30分後、母は静かに息を引き取りました。


最期の会話。

じっと一点を見つめているところに顔を持っていくと、しっかり目を合わせて、一生懸命話しています。
でもロレツがまわっておらず、何を言っているのか分かりませんでした。
でも手でオッケー👌をしていました。



母の人生、オッケー

色んな人に支えられて、素敵な一生だったと、そんな風に言っていたんではないかと、私は信じています。





あれから1ヶ月…

私、マザコンだったなと実感しています。