マリー・マドレーヌの自叙伝 29 | マリー・マドレーヌのブログ

マリー・マドレーヌの自叙伝 29


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【 執着(しゅうちゃく)からの離脱(りだつ) 】


わたし、このことをしるまえ、司祭(しさい)から「傲慢(ごうまん)」について、耳(みみ)が痛(いた)いほど、指摘(してき)されたんだ。とくに、音楽をしていたわたしにたいして、「芸術(げいじゅつ)は、人をかんぜんにしあわせせにはできないよ」って、司祭がいったの。いっしゅんのよろこびとか、なぐさめをもらえるかもしれないけれど、芸術家(げいじゅつか)は、感覚的(かんかくてき)な人がおおくて、すべて、「感じる」ということに価値(かち)をおいてる、というはなしをしたんだ。はんだんにおいても、「すき、きらい」で、ものごとをかたづけるけいこうをもってるのが芸術家なんだ、といわれて、わたし、あぜんとしちゃった。

まえの教会でも、ある人が予言のたまものをもちいて、「あなたは歌を歌うことで、ごうまんになってる。くいあらためなさい」って、わたしにいって、たいへんなショックをうけたんだ。いえへかえったら、もう、はげしくなかされちゃった。こんなできごとがあって、傷がふかくなっていたわたしは、もう歌うことがいやになって、どんどん、歌を人にきかせるというおもいが、はぎとられていった。そして、リトル・ペブルさんのことで、信仰(しんこう)をまもるため、決意(けつい)して、いえをでてから、司祭とコルベ・マリーの3人でくらすようになったので、うれしさでいっぱいだった。

けれど、わたしにとって、「音楽」にたいするしゅうちゃくは、なかなかすてられなかった。まず、じぶんが、絶対(ぜったい)音感(おんかん)があるって、ちいさいころからいわれて、そのさいのうをみこまれて、ピアノをならっていったんだけど、このあたえられたものは、ぜんぶ、神様がいっぽうてきにくれたものであったということを、またここにきてしらされたんだ。


わたしは、じぶんの歌が、「人にきいてもらうための歌」ではなくって、「修道者(しゅうどうしゃ)が、神(かみ)にむかって祈(いの)るために、歌(うた)う」ということにきりかえるために、しばらく、ミサでは歌わないという、けっしんをしたんだ。司祭に、しゅうちゃくをすてるようにする、ひとつのほうほうとして、「祈ることが第一になるまでは、歌わない」っていわれたんだ。
それとあわさって、女性のもつ「ごうまん」を、またいやというほどしらされて、わたしはくるしんだ。でも、じゅうじゅんするということをおしえられて、だまって、じぶんのないめんをかえていくしかなかった。じぶんという、みにくいそんざい…。

歌を歌ってたものにとって、人からみさげられるというのは、ひじょうにたえられないように感じたんだ。でも、このしれんをくぐらなければ、いまの私はなかった。エバのもつ罪(つみ)……。人とすぐ比較(ひかく)するわたし。そして、陰口(かげぐち)をいつもいってしまう。人の善(ぜん)を、すぐにみとめない、わるいわたし。あげればきりがないほど、わたしはくさっていて、どこもほこれるところはないのに、ちょっとよいことをけいけんしたりすると、それで優越感(ゆうえつかん)にひたっちゃうんだ。そして、じぶんをみとめてほしい、そんなよくに心がみちてしまう。
こんなこともある。なにかとプレッシャーによわいんだ。死をむかえるまで、書(か)けるだけ書いていくしごとがあるのに、なかなか手につかないで、きれいに書かなきゃとか、みんなにわかるように順番(じゅんばん)をととのえなきゃ、といったことをかんがえてしまって。だから、「おとな」としてのわたしを意識(いしき)してしまう。天(てん)がのぞまれる「幼(おさ)な子(ご)」になる道(みち)をあるくのに、いまでも、いっぱいしっぱいしながら、ころんだり、けがしたりしながら、すすんでる。

この指輪にかんして、わたしは、「イエズスとのしんぴてき婚姻(こんいん)を意味(いみ)しているとおもいますよ」という、リトル・ペブルさんからのおへんじをもらったときに、なにがなんだかわからなかった。司祭はわたしに、「あなたはシスターにならない」って、このときには、もういってたとおもうの。なのに、イエズスとのしんぴてき結婚? よくわからなかったんだ。そうしているうちに、「死ぬことによって、しんぴてき結婚が、かんせいされるよ」って、司祭がいいだしたの。そして、イエズスのためなら、またリトル・ペブルさんのためなら、死ぬ覚悟(かくご)をもつようにっていうことも、いわれはじめたんだ。いまでもこのことばはかわらず、ミサのときに、かくにんするんだよ。リトル・ペブルさんのために殉教(じゅんきょう)っていうことも、みんなにいってる。