満利江のスイーツな話!

満利江のスイーツな話!


俳優・横溝貴之さんが11月19日に心筋梗塞で突然亡く

なられました。享年47歳。


NHK「翔ぶが如く」や同「ひらり」

映画「釣りバカ日誌」など出演して、身体は大きいけれど

愛くるしい演技をみせてくれていました。

NHKのプロデューサーやディレクターにお知らせすると

「前にですぎない、いい芝居をする俳優で残念だ」

と、口をそろえて惜しんでいました。


そもそも横溝くん(と呼ばして下さい)は西田敏行さんの

おつきをしていたこともあり、

芝居の中に師匠西田さんを彷彿する雰囲気がありました。

また身体の大きさを生かし、

悪役商会にもいたといいます。

私が30歳のときに相棒と芸能事務所を設立の際に、

横溝くんは創立メンバーとして協力してくれました。

私が印象深いのは

NHKテレビ小説「ひらり」の時で、力士御用達の洋服屋に

買い物に来る大きな身体のお客の役で、

ひらりさんに筋肉と贅肉の違いみたいな話をされても、

気にをせず、ニコニコと受けこたえるこ好青年を演じて

いたのが印象的でした。新聞の番組欄にも写真がでて

とても喜んでいました。

「太れというなら、本番までいくらでも大きくしますよ」

と周囲を笑わせてまして、その根性たるものすごいもの

でした。

「僕が出来ない役は、忍者ですね。塀にのぼったら

塀が壊れちゃうトカ・・・ギャグですアハハハ」

そうした人懐こい、人の心をほぐしてくれるひとで、

ドリフや志村けんさんなどのバラエティーもやってくれま

した。死ぬ役も、他の役者には考えられないことをして

くれる。・・・・・

東宝の「たそや行燈」でも主軸になる役をしました。

思いだすと、一緒に仕事をしたいろいろな場面が

浮かんできます。


でも、事務所の相棒と上手くゆかなくなり事務所を去り

ました。難しいものです。役者同士って。


私はずっとプレーイングマネージャーとして仕事をしてい

ました。じゃんけんで負けたら・・・・ということにしていま

したが、21の時からフリーでやっていたので、人脈は

ひろかったので、おもしろいように仕事がとれました。

でも、相棒が再婚をすろことがあり、44歳の時に独立。

結局一人になってしまいました。


横溝くんはときどき電話をくれていました。

丁度、1年くらい前、ヘルニアが悪くなり、病院に通院。

そしてリハビリをしてだいぶ良くなったんです、と

10月の終わりに電話があったのです。

「身体をよくしなければ、芝居どころじゃありませんからね。

でも、本当よくなってきたんですよ」

と明るい声で話してくれました。

そして映像の世界に戻りたい話もでました。

私は独りで、よちよち、とても横溝くんの人生をかかえる

技量はありません。でも、互いフリーでも協力をできる

ことはするから。前よりパワーアップしたのよ、と

話したのが最後になってしまいました。


丁度映画のラッシュを見終えて四谷の駅の構内で

横溝くんのお姉さんから電話がありました。

「名刺が一番上にあったので」・・・ということで。

そして

電話ではつらいの苦しいのなど家でもいわす、ずっとリハビリ

につとめていたこと。

ここ1年、駅まで歩いて10分のところ、1時間以上かかって

しまっても、弱音をはかなかったとのこと。など

病状については少しあなたに嘘をいっていたかも。。と。

病状は想像以上に悪かったことを知って愕然としました。

仕事も出来ない状態でいたのだと。


でも本当にさらりと、明るく話してくれていたのです。

私って本当に自分が馬鹿だと思いました。

それに何もできなかったし・・・。

もしかして、私にSOSを出していたのかもしれないのに


ストレスによる心筋梗塞。

部屋の掃除はリハビリだからといって母親の手伝いを

して、なぜか「すみません」と正座をしていって自分の部屋

に行って、それで戻らぬ人になったそうです。

ただ、救いは、そんなに苦しんだのではないらしいこと。



なんだかいたたまれなくて

突然死は、心の準備がないまま急に逝きますからまわりには

あまりに悲しすぎます。

昨年は従姉もそうでしたが

親しい人が突然死をしていることもあるので、

なんだか私の中では精神の平衡感覚がなくなってしまいます。


でも、やっと書けました。

役者ですから

知られないより、亡くなったことでも一人でも多く

知ってほしいんじゃないのかなと。

忘れられてしまうことが一番悲しい。

「あいつ、いい役者だた、おしいよ」と言われたいよね。ーーー。


無念。絶対無念だと思う・・・。

せめて

生きているものが頑張れればなと。

無念ははらすからね。


合掌。