祖母が水頭症の症状が出て、入院して1ヶ月になります。

今で言う認知症の症状も多少でていましたが、今回の発症を境に、

状態がかなり変わり、コミュニケーションが難しくなりました。

こちらが「ばあちゃん!」と呼びかければ、肯いたりはしてくれたり、

「きつくない?」と訊けば、首を横に振ったりしてくれるのですが、

それ以上のやりとりは難しい状況でした。


そして、さらにここ数日、それまではなかった「ウ~、ウ~」と言うような呻吟が始まりました。

本人は、何がつらいのか言葉では話してくれないので、想像ですが、

おそらく、経管栄養のために鼻から入れている管が不快なのと、

熱が7度中盤くらい出続けているからだと思います。


本人はもちろん、とても苦しそうです。

傍でずっと付き添っている叔母も、それを見ながらどうしようもないものだから

つらそうです。

同室の方にも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。


私自身も、以前胃から吐血した時、その状況に不慣れで、

大慌てされたお医者さんに

鼻からチューブを入れられた体験もあって、

鼻から管が入っている状態が、どんなに辛く情けないか、

多少は知っているつもりです。

「(呻かざるを得ないよね~)」

「(きついよね~)」。

周りの方にも大変苛酷な状況ですが、

私は、祖母の呻吟を聴きながら、

生きている精一杯の叫びを聴く思いでした。


あるお母さんの相談です。小学校中学年の娘さんについて。

「何か発達の遅れとか障碍とかないでしょうか? 今、AD何とかとかLDとかあるじゃないですか~」。

というわけで、私、その子に会いました。

大人しくはありますが、受け答えはきちんとしますし、目線も気になりません。

カウンセリングは時に対話に不慣れな子どもには緊張感を与えるのですが、

笑顔も見られました。


「でも─」、お母さん曰く、

「たくさんの人の前に出ると、何もできなくなったり、出たがらなかったりするんですよね~」

「興味を持っていることには、集中するんですけど、そうじゃないとタラ~んとするんです」

「授業参観の時なんか、しょっちゅう後ろを見るんです」

……

私、「そんなもんでしょ! 一部の子どもって!」

お母さん「けど、クラスの他の子と比べるとですね、どうもテキパキしてないんですよ~」。


この《他の子と比べると》がクセモノです。

この言葉は、臨床では、しょっちゅう聴く言葉です。

「比べてはいけないって、わかってるんですよ! よくないですよね!でも、つい比べてしまうとです─」

と、ちゃんと前置きされる方もあります。


なぜ、これが気になるかといいますと、

これが語られる時、ほとんどの場合話題の本人は、否定的に問題視されているのです。

それが一つ。

もう一つは、その比較の対象が、

きょうだいであったり、いとこであったり、クラスメイトであったり、いとこであったり、

あるいは、過去のご自分であったりしますが、

いずれにしても、対象範囲が狭いのです。

その比較対象の子が、子どもの代表でも基準でもないのに、

狭いところから引っぱってきて、むやみに我が子を否定的にみているのです。

もう一つ、その比較の仕方が尺度が少なく、別の面では問題なくても

わざわざ問題の側面点ばかりを取り上げて見ている感じがあるのです。


しかし、こう申し上げると反論が予想されます。

「でも、どうしても、つい比べてしますでしょ?!」

「成長がうまくいってるか心配だから、やっぱり気になるでしょ?!」


確かに一理あります。

私の本音は、

「その子はその子ですから、そこから考えればいいです。

むやみに比較しないで下さい!

大人だって、比較されて、なおかつ否定的に見られるのはイヤでしょ!」

ですが、そのご意見もわかります。

そこで、お願いしたいのは、

《比較するなら、大勢の子と!》

です。

そのためには、多くの子どもをみて、た~くさんの人と話をして、いっぱいパートナーと話して、

時には本も読んだりして、

それでもご心配なら、

そういう事を日夜考え、多くの子どもと関わっていて、一応勉強もしている

私たち臨床心理士などにご相談下さい。


「我が子をあまり比較しないで!」

「比較してしまうなら、大勢の子と!」

それでもご心配なら、専門家へ!

です。

皆さんの中で、温熱じんましんに悩まされている方はいらっしゃらないでしょうか?

寒冷じんましん、という言葉は聞かれることがあると思いますが、

その反対、身体が温かくなると“痛・痒く”なる症状があるのです。


私は、以前少しその傾向があったのですが、この冬からひどくなり、

ある一定の気温や体温になると、チカチカチカチカと、

丁度、素肌にじかに毛のセーターを着た感じに痒くなっていました。

まったく我慢できないかと言えば、そこまではないのですが、

不愉快極まりなく、時には、講演中にじんわりチカチカと痒くなって

必死で堪えて話し続けたこともありました。


少し調べると、「アレルギーの一種で、なかなか治りにくく特効薬はない。

ストレスを減らし、食事も、刺激物やアレルゲンになりそうなものを避ける。

薬を使うにしても、抗アレルギー薬で合うものを、徐々に探すほかない」

的なことが書いてありました。


「う~ん、付き合っていくしかないのかな~」と、思いつつ暮らしていたある時、

親戚の集まりがあって、その席で、小児科が専門だけれども

アレルギーに詳しい方がいとこのダンナさんにいらしたので、その方に

状況をお話し、「どうにかなりませんかね~」とご相談したところ、

「○○○○○って薬はどうかな~。これだと、眠くならないと思うし。」と

教えて戴きました。

そして、さっそく飲み始めたところ!!

いいのです!


以前が10としたら、今のところ、0.2くらいです!

だからと言って、すべての方に効くというわけではないでしょうが、

少なくとも、薬が効いたということをお伝えしたかったのです。


温熱じんましん自体、どれくらいいらっしゃるかわかりません。

が、諦めていらっしゃる方が多いのではないでしょうか。

私も、どちらかと言えば、薬はあまり好まないほうですが、

「やっぱり、時にはお世話にならなきゃいけないなあ~」と思い、

そのお医者さんと、薬に感謝した次第です。

カミさんが、「マグロおいしそうだったね~~」

と、私の帰宅そうそう言いました。

某テレビで、たまたまゲストだからとスタッフに気をつかっていただき、

大トロを勧められて、いただいた場面をしっかり見ていたからです。

熊本では有名なおすし屋さん、O町のS寿司さんの《本マグロ祭り》という

なんとも威勢のいい企画の紹介のお裾分けでした。


カミさんの話しっぷりが、いかにも「あんただけいいわね~。のさって!」という言い方と眼差し

でしたので、早速翌々日、そのお店に行きました!

評判に違わず、店に活気があるし、構えが堂々としてるし気配りはあるし、お客は多いし、

何より、本当に、マグロがおいしいの何の!

「今まで、大トロとか中トロって言ってたのと、違う!」

と思いたくなるくらい、迫力のある品なのです。


それと、得したのは、マグロの解体ショー(?)に出くわしたこと。

目の前で、230キロ(普通の大人4人分!)の本マグロがのこぎりで切られていく様を

目撃できたことです。

割かれて出てくる肉は、まるで牛肉のような巨体です。

その時、内心考えていたことは、

(これが人間だったら、超おぞましい事件だけど、マグロだと、超おいしそうな食材なんだなあ。

生き物が切り刻まれていく場面を、『おいしそう~』と思ってみるんだから、

人間って、本当に、すごく恐ろしい生き物だなあ)

ということでした。


めったに見れない場面を見せていただいたことと同時に、

マグロ達魚やいろんな生き物にも「食べさせてくれてありがとう」と

気持ちの中で、あらためて手をあわせたひと時でした。


監禁事件についてです。

「子育てをし損なうと、こうなりますよ!」という象徴的な犯人が出てきました。

現代は、ややもするとこういう人間(というか人間と呼びたくない気もしますが)

をつくるのです。その思いで、ここ10年来、ずっとお話をさせていただいているようなものです。

だから、この犯人については、「信じられない別世界の生き物」ではなく、

実は、よくわかるのです。どういう人間か。

なぜなら、今回の犯人の予備軍のような子や、

こういう人間をつくりつつある親御さんに会い続けているからです。


子どもをお殿様に仕立て上げ、自分を錯覚させる《過保護・盲従》

適度な我慢を教えない《父性欠如》

心の不安定を醸成する《夫婦不仲》

暴力への抵抗感の無さを生む《夫婦間暴力》

現実と仮想の区別を希薄にする《ゲーム三昧》

……


さもありなん、です。

そして、結局、他人の人生をズタズタにしています。

今回に類似した犯人らにとって、他人は、他者として存在しているのではなく

自分の欲求を満たす道具なのです。つまり、心理的には他者がいない

《他者不在》。


「子育てには、適度な厳しさが必要です。そうして、いつも他人と生きていることを

伝えましょうよ」といっつもお話しているのは、

極限型とはいえ、典型的な、

こういう人間にさせないようにしましょう、という意味です。


それと、女の子について、脅迫されて止むをえず家を出たらしいのですから、

それは本当にかわいそうですけども、

その時に、やはり誰かに助けを求めるべきだったと思います。

あくまで徹底的に被害者ではありますが、

チャットやメールをきっかけに安易に会いに行く危険性は、しっかり子どもに伝えねば

ならないと思います。


先々週の週末、東京に行きました。

心理士会の研修と、他の仕事を兼ねてです。

そこで感じたのが、東京の臭さ。


“東京菌”なんて、あるわけないのですが、

そう言いたくなるくらいに、在京期間中何だか臭くて、ノドが痛くて、

帰ってから、しっかり熱が出ました。38度6分。


以前、幼稚園、小学校、中学1年、大学、大学院と東京暮らしでしたから、

以前は平気だったはずですが、今はトンとダメです。

東京の人は、もう慣れっこになって、気にならないんでしょうね~。

こちらに居ると、こちらの空気の良さもわからないから、お互い様でしょうが、

今回あらためて、「東京には、長く居られないな~」と思いました。

皆さんは、感じませんか?


先々週の週末、東京に行きました。

心理士会の研修と、他の仕事を兼ねてです。

そこで感じたのが、東京の臭さ。


“東京菌”なんて、あるわけないのですが、

そう言いたくなるくらいに、在京期間中何だか臭くて、ノドが痛くて、

帰ってから、しっかり熱が出ました。38度6分。


以前、幼稚園、小学校、中学1年、大学、大学院と東京暮らしでしたから、

以前は平気だったはずですが、今はトンとダメです。

東京の人は、もう慣れっこになって、気にならないんでしょうね~。

こちらに居ると、こちらの空気の良さもわからないから、お互い様でしょうが、

今回あらためて、「東京には、長く居られないな~」と思いました。

皆さんは、感じませんか?


は~あ、よかったです。

時折すご~く聴きたくなる程度で、特別クラシックが好きなわけではありませんが、

何せボレロが好きで、パリ管弦楽団のコンサートに行きました。

4月13日。大枚はたいて。カミさんと。

 

なぜボレロが好きかというと、大学の入学式の時、すんごく広い会場に入った途端、

この曲の盛り上がるサビの部分を、大学のオーケストラが奏でていたのです。

それが、まさに私を迎え入れるかのような音色に聴こえて以来、

この曲と作曲者ラベルの虜になりました。

この曲だけを目当てに、大学時代は、邦洋取り混ぜて20回は

コンサートに行ったと思います。

ベルリンフィルも、ウイーンフィルも、シカゴも。

ベルリンはカラヤン、シカゴはショルティの時です!

 

最高だったのは、今回と同じパリ管を、ダニエル・バレンボイムが率いてきた時です。

今思えばパリ管の全盛期です。

かっこよすぎて、鳥肌がたち涙が出ました。

今回も、テンポといい、盛り上げ方といい、躍動感といい、本当に

「上手だな~」と(世界的なプロですから、当り前ですが!)思いました。

 

忘れかけていた夢を思い起こしました。

「生きてる間に一度でいいから、ボレロを指揮したい!!」。

 

そう思い返し、

カミさんにも「よかったろ!? よかったろ!?」と

感動を強要しながら、

帰りました。

幸せな一夜でした。

 

 

やっと本が出来ました!

熊日の今坂さんはじめ、多くの方のお力添えで、ようやく出来ました。

ありがとうございました!

題は、『かわいい孫の愛し方  ──甘やかしは孫を駄目にする』です。

 

臨床の現場に長くいて、子育てや家族の窮状にずっと関わっているのですが、

その中で、おじいちゃん・おばあちゃんの存在が、必ずしも家族にいい方向に

はたらいていないことに気づいてきました。

 

おじいちゃん・おばあちゃん方は大切に決まっているのですが、

孫や子どもとの関わり方がまずくて、皆、格闘しているのです。

そこで、大変、生意気だけども、その現状と、対応策をお伝えしたいとずっと思っていました。

 

おじいちゃん・おばあちゃんに苦言を呈するような内容なので、気が引ける面もありましたが、

誰かが言わねば、と思いました。

おじいちゃん・おばあちゃん向けのタイトルですが、

子育て論そのものです。

どうか、お目通し下さい!

 

また、日頃から気になっている、父親とは名ばかりで、父親になっていない父親、

《心理的息子》についても書きました。

ご夫婦の子育てをもり返っていただけると思います。

 

もうすぐ書店に並びますので、

よろしくお願い致します!

 

 

鹿児島で4人の少年が、洞窟で遊んでいて亡くなった事件で感じたことだが、

これだけ子どもがいろんなことを知ってる時世に、閉鎖的な空間で火を使ったら危ない

ということを知らなかったのか。

学校が悪い、親が悪い、という議論ではまったくなく、

「生きるのに必要な知識」という視点で、今一度、大人が子どもに伝える知識を

整理すべきではないかと思ったのだ。

 

例えば、すさまじい車の量の交通社会が変わることはないだろうから、

子どもの飛び出しが、ドライバーから見たらこう見える、そか、

雨の日は、光る物を身につけていないと、ドライバーからはほとんど見えない、とか、

そういうビデオを見せる、などがそう。

また、実際に農作物を自分達でつくって、時には失敗して、食べ物の貴重さを知る

とか。

 

やや飛躍かもしれないが、新しいゲームがどうだの、携帯にこういう機能がついただの

そんなことどうでもよく、

学校の勉強にしても実生活で役に立たないものばかりだし、

現状とはもっと異質の、伝えねばならないことが、たくさんあるような気がした出来事だった。

 

親御さんの気持ちを察すれば、言葉がない。