東日本大震災から6年。
もう6年。まだ6年。
6年前の3月11日14:46
あの日の事を思うと胸が締め付けられる。
あの時、私は渋谷の旅行会社で
打合せをしていた。
突然の大きな揺れに誰もが驚いた。
大きな長い揺れ。
しばらくして地震速報が入ってきた。
震源が三陸?
宮城?福島?岩手?
東京でもビルが壊れそうなくらい揺れたのに。
想像以上の震源の遠さに
ただごとではないと悟った。
その後、
またしても大きな地震。
電話は繋がりにくくなり
情報も錯綜し始める。
『電車が全線止まってるらしいよ!』
この後、
これらの電車は夜中まで動かないのだが、
こういう事態の中で、それでも
無理に帰ろうとする人の多さに驚いた。
『次にいつ電車が動くか分からないから
そのタイミングを逃せない』
と。
むしろいつもより早い時間に
早退するかのように
慌てて駅に向かっている人が多くいた。
地震の後は、もう
旅行の打合せどころではなかった。
誰もが次の日のツアーの事を
考えられなくなっていたし、
何より電話回線が混雑して
電話がなかなか繋がらないから
仕事にならないのだった。
あの時はまだスマホ時代ではなく
ガラケーの時代。
ひたすら携帯のワンセグを見ながら
情報収集をしていた。
そのうちに、
12日のツアーがキャンセルになり
13日のツアーがキャンセルになり
14日のツアーもキャンセルになった。
後日談だがその後
3月中のほとんどのツアーが
キャンセルになった。
キャンセルの連絡に追われる中、
私と数人の友人は早々に
帰宅を諦める決断をした。
多分このキャンセルの連絡は
終わらないだろうし、
電車が動いてない時に
無理に帰るのはやめようと思った。
そしてまず夕食を買いに駅ビルへ向かった。
駅はごった返していたが
駅ビルはそうでもなかった。
私たちが動きだしたのは
まだ明るい時間帯。
なんなく食料の買い出しが出来た。
まだ食料を買い出さなきゃマズイ
という雰囲気ではなかったから。
しかしそれも数時間で状況は一変する。
夜には渋谷中の店という店から
食料や飲み物が空っぽになる。
だんだん暗くなってくる中で
増える人の数
動かない車
動かないエレベーター
何もかもが動いてない事に気づいてきた。
7階の窓から、
ふと外を見ると
歩道は初詣のような人出。
高速も下道も
車は全く動いていない。
電車もまだ動いてない。
『〇〇線が運転開始するかも!』
みたいな情報が入るたびに
帰っていく仲間たち。
しかし夕方出た彼らが家に着いたのは
夜中だったり
翌朝だったり
車で迎えに来てもらおうとした人は
もっと悲惨な事態に陥っている。
普通30分で来れる距離を
8時間とか。
もう全く動いてないのだ。
しかも引き返すことも出来ない状況。
無理に帰ろうとしなかった事は
良かったようだ。
しかも余震がめちゃくちゃ多い。
あれほど道も混雑して
帰宅難民と呼ばれる人たちが溢れている中で
さらなる大きな揺れがあれば
二次災害に繋がっていたんじゃないかと思う。
そして夜中も続く余震の中、
1人で家にいるより
仕事場でみんなと一緒にいた方が
心強かった。
余震が怖くてトイレもいけない。
5分おきくらいだろうか。
とにかく多いし、余震の規模が大きい。
しかも回数が多いから
丈夫なビルでも、
次の揺れで壊れるんじゃないかとか
不安がつきまとった。
その夜は、状況が状況だから
夜中になっても時間帯を気にせず
次の日出発予定のツアーの
キャンセル連絡を続けた。
皆、何時だと思ってるんだ!
など、怒る人はおらず、
むしろ労いの言葉をくれる方が多かった。
夜中12時になっても続けた。
電話を受けたお客様も
皆、寝ていなかった。
多分、寝れないのだと思う。
夜中もずっと続く地震報道。
この日の報道はほぼCMすらなくなっていき
皆から笑顔も消えた。
朝になり、
とりあえず電車は動き出した。
私は昼頃、帰ったので
驚くほどすんなり帰れた。
帰りに見たコンビニではどこでも
おにぎりやカップ麺などの食料品は
見事に消えていた。
川崎にある自分の家に帰った時、
ホッとしたのと同時に
申し訳ない気持ちになってきた。
テレビをつけると
あまりにも酷い状況に、
ただただ苦しくなった。
自分たちが経験した
いわば『帰宅難民』は
たいしたことじゃない。
それよりもっと、
この寒い中
まだ今でも
苦しんでいる人がたくさんいる
そう思うと
なんかもう笑顔にはなれない。
そう感じた人が多かったんでしょう
その後
バラエティ番組がなくなり
CMが全てAC広告機構になり
笑うことが罪にすら感じる日々が
続きました。
そして次の日から、
計画停電が始まり、
被害の薄い関東でさえ
被災地的なムードが広がり
買い占めなど
いろいろな問題も起きました。
書きながら
思い返す6年前。
忘備録として
教訓として
自然災害はいつまた訪れるか分からない。
忘れてはいけないと同時に
あの日失った多くの尊い命の
ご冥福をお祈り致します。
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