本日は国際結婚の話。

トルコに住むようになって出会う日本人はほとんどトルコ人旦那様がいらっしゃる方で、もはや国際結婚という大袈裟な表現を使うこともなくなった今日この頃。

日本にいると外国人の彼氏や旦那様がいるという方はかなり珍しくなってしまうのですが、
じゃあトルコ全体で見ると国際結婚ってそんなに一般的なのかというと、

やっぱり珍しい

のです。
特に田舎では。

『よく双方のご両親が許してくれたわね~』
というのは、トルコ人ママからもよく言われる言葉。

やっぱり、結婚相手が自分の国の人であって欲しいという願いは日本やトルコに限らず。親の気持ちは世界共通でしょう。

どんな習慣を持っている相手なのか

信用できるのか

料理や家事は大丈夫か

金銭感覚は同じか

宗教は…

と、考えれば考えるほど悩みがつきないのは国際結婚の宿命。
世間体だって気になる、田舎では噂話だって炎上しかねない。

だって、相手は何者か⁉︎
相手のことや国のことをよく知らないがゆえの不安や怖さ
かと思う。

そんな、世間的にはまだまだ一般的ではない国際結婚も、自分が身を置く境遇次第では珍しくなかったりします。

そう。
私も観光関連の仕事をしていたので、同僚や世界旅行をしているお客様のご親族など。
なーんだ、国際結婚している人ってめっちゃたくさんいるんじゃないか
って思うほど、話を聞いてきました。

生活の舞台を旅行とはいえ、
世界
にシフトしていた時に、自分の人生の方向性は、既に日本だけではない場所を生活の舞台と捉え始めていたと思うのです。

実際に、国際結婚している方で
観光関連の仕事をしている人
は、本当に多い。
これはトルコでも、日本でも。
日々、外国と接点のある暮らしをしていると、これまた自然の流れなのでしょう。
そして、知っているがゆえの理解もある。

よく、
『外国人の彼氏や旦那がいる』
という話をすると、
まぁ~、英語が達者なのね!』
って、必ず言われる。

私『い、いやそれほどでも…』

と言葉を濁す私。

逆に
『トルコ人の彼がいらっしゃるからトルコ語喋れるのでしょう!』

という事もよく言われた台詞。

い、いや~…。そ、そうですかねー。
言葉ってそんな簡単ではないよ…、と内心思う私。

実際に国際結婚をしてみて思う事だが、日々生活に必要な言葉というのはどれくらい多くの言葉を知っておく必要があるのか。

私たちからの結論としては、

おはよ~
ご飯~
お風呂~
寝る~

『これだけ分かれば十分だよね!』
と、旦那はバッサリ!

女性側の私としてはもう少し言葉にバリエーションが欲しくはなっちゃうけれど。
これは男女の違いであり、人種の違いにあらず。

究極の話、恋愛で
『好きだよー愛してる!』

これさえ言えたら、

これさえ聞けたら、

他にどんな言葉が必要だろうか

なんて、笑いあったりもしたものでした。


もちろん、外国人同士、文化の違いは凄まじいがゆえに、当たり前が通用しないのは双方が周知の事実。

ゆえに、いちいち説明しなきゃいけない面倒くささや不便さを感じることはあっても、逆に言えば
言わなきゃ分かんないのー!この人はっ!』
(最近増えましたが…)
って類の喧嘩は少なく、そもそもそんなに出来ることを無駄に期待していないラクさはあったりするのです。

日本にいた頃、
『当たり前!』
『常識』
という言葉が苦手だった私。

この台詞はよく仕事で使われていたのを思い出しますが、
『大学を卒業していたら、これくらいの一般常識は理解出来て当たり前だ』
『30代の男がこれくらい出来て当たり前だ』
みたいな感じで相手を責める度に、人によって理解が違うことを理解しようとしない風潮が、仕事の効率を重視した見解だなぁと実感したのでした。

今の私は、イイ年したオバちゃん世代でありつつ、同じ年のトルコ人女性のように何でも出来る訳ではない。
むしろ、病院や役所ひとつ取っても誰かトルコ人が付き添って連れて行ってくれる。
料理だって、トルコ人ほどトルコ料理が上手に出来る訳ない。

そんな私達を見て、最初は
外国人と結婚した旦那は可哀想…』
と内心思っていたトルコママは少なくなかっただろうと思うのです。

いちいち面倒を見てもらわないといけない私であり、
意思疎通がトルコ人同士より難しい外国人の私なのに、
実はトルコ人ママからも大人気?と勘違いしてしまうほどお誘いが多かったりするのもまた意外な事実。

これって、

な~んにも知らなくて、
なんか変わってて、
いちいち面倒見なきゃいけない私に

教えてあげることが楽しい

みたいです。

そういや、旦那も日本在住の間、
日本の文化を紹介したい』
と、周りの友達はよく面倒を見てくれていました。

小さな子供の成長が親の生きがいとなるように、誰かに教え教えられる環境って人間の生きがいなのかもしれません。
それが同じ境遇の人から教えられるとプライドが傷つくことも、外国人からとなるとお互いすんなり受け入れられたり。


私が思うに、
同じ境遇同士の理解出来て当たり前を前提にしたお付き合いよりも、
違って当然!ゼロからお互い分かり合えるように努力していきましょ
という前向きな交際の方が、実は難しくないのかもしれないとも思ったりするのです。
だって、人間いきなり変われないから。
『あの人を変えたい』ってのは正直かなり難しいけど、それ位ならゼロから学ぶことの方が簡単だと思うのです。


結婚は、同じ日本人同士でも、違う環境の人間が人生の途中から共同生活を始めることだから、当たり前が違うことを知る瞬間に、喧嘩ではなく新しい発見をしたかのように笑いあえたら最高ですね!


と、いうことで、
『今の日本男児は~…』とブツブツ言っている方、

日本語もロクにしゃべれない外国人とのお付き合いは意外に楽しいかもしれません!

でも、これは本当にご縁。
同じ日本人同士でも疲れてしまう人間関係があるように、
外国人とのお付き合いでも、意思疎通できなくて疲れる相手と全く疲れない方と相手によって全然違います。

気付いたら自然と隣にいた…

なんて、ドラマは
もしかしたら地球の裏側で訪れるかもしれないですね!


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