73歳になる母がいる。

4年前に脳梗塞で倒れ、半身麻痺と軽い脳障害、持病の糖尿病に加え、重度の排尿障害を抱えている。


彼女はスポーツ万能で明るく教育熱心なスポーツトレーナーだった。指導者としての評価も高く地元メディアからの取材もあったほどだ。

そんな彼女を射止めた男もまた、スポーツ選手から教育者になった人だった。


そんな2人の老後の夢は、

子供たちがそれぞれの家庭を築き、自分たちも定年退職したら2人でテニスを始める事。

互いに大学の授業程度でしかやった事のないテニスを初心者から味わってみたい。

そう、思っていたらしい。


そんな男は

結婚13年目にして呆気なく死んだ。


近年では症状をコントロールできる薬が開発され、この病気で死ぬ人はもうほとんどいない。


本当に呆気なく。。。

別れの準備もなく。。。


亡くなった日から時間が経過し、

少しずつ元気を取り戻していたかのように見えたが、それは違ったと言うことが今日分かった。


父の誕生日だった。


毎年「あの人が生きていれば〇〇歳だわ。でも永遠に40歳のまま。いいわね、歳を取らないなんて。」

と皮肉にもとれる冗談を言っていたのに、

今年はそんな台詞はなかった。

きっと認知症の症状が出始めたのだろう。

父の誕生日も忘れてしまったのかもしれない。


その代わりただ一言、


「私、どうしてこうなってしまったの?こんなはずじゃなかったのに。」


大きな目から涙がこぼれ落ちそうで、シワの増えた口元を覆いながらそう呟いた。


本人も気づかれないようにしていただろうし、

私も見ないようにしていたのかもしれない。

それほどに彼女はずっと前から気丈に明るく振る舞っていた。

アスリート出身の彼女は悲しむだけなのは努力をしない「敗者」と同じだと、

立ち向かうことこそが「勝者」であると、

思っていたに違いない。


自分に嘘の呪文もかけていて、本人も気づかなかったかもしれないが、

彼女はあの日からずっと絶望の只中にいる。


愛する人を失うということはどれほど残酷か。

努力や他人の優しさなんかじゃ、絶望という名の穴はそう簡単に埋められないし、

30年以上経っても、愛する人との夢が破れたという事実を受け入れるには短すぎる。



自暴自棄になる。

生きていても仕方がない。

もう私なんていらない。


近年、そんな言葉が降り注ぐ中で、周囲にいる私たちは励まし、「そんな事言っちゃだめ!」と叱ってしまったこともあるかもしれない。

そう、私たちは過ちを犯していた。


ありきたりな言葉を並べただけのまるで絶望を受け入れて未来へ繋げ!と言ったような軽率過ぎる発言の数々。未熟でおこがましいにも程がある。


私はもう彼女は責めない。

絶望の中で生き続けた彼女を受け入れるのは私たちなのだ。


だから彼女には、好きなように生きて行けるよう見守りたい。そうすると残された時間は少なくなるかもしれない。ただ、


「人生色々あったけどこれでいいや」


と終われるように。それだけでいい。



そして私は願う。



お父さん。


お母さんがそっちに行ったらさ、


今まで1人にさせて本当にごめんって全力で謝ってほしい。


そして、全力で抱きしめて、

全力でわがまま聞いてあげてよ。