知識を持ちたいと思った。文字を使って表現するための材料となる引出しの充溢を求める。興味関心偏見に関係なく、内容に厚みや面白みの要素を連続して加えるための豊富な知識を。そして読む人には、今後何かの役に立つかどうかもわからないがその場の退屈しのぎにはなるだろう、どちらかといえば知って損はないプラス寄りの事項(にみえる)だから、とそっけない好奇心から始まり、表面上は「ふ~ん」と言わせ、一見何の収穫もなかったかのようにみえるが、その後誰でもない自身の、個性等とも呼ばれることもある生まれ持った性質や無意識のうちに外に発せられる生活習慣上の癖に問いかけ、疑わせ、今のままで十分満足なんていう自己中心的かつ無難な考えから、何ひとつ完結することのない混沌の中で疑い続けることを後押しする、影響を与える側の立場の一個人として、紛れもなくやって来るだろう明日の為に、表面上の元気ややる気なんていう確かなものでなくていい、潜在する個人のマイナス精神に少しの刺激と光る兆しを。少数の刺激はあとは独りでに連鎖する。琴線に触れるというやつだ。
なぜマイナス精神の方に語りかけたいのかというと、弱い部分を突かれた時の衝撃は、新しいことを発見し物にする時の快感と違って、元々自分の中に在ったものを無理矢理に掘り出されるわけで不愉快、それでも頭まで出てきたものを引っ込めるのも苦しい、正念場である分成長がある。財産にすべき豊作物といったら、間違いなく後者だろう。
何かの拍子に悩み、あるいは悩まなくても立ち止まり、どうしてこうなったんだ、何でこんなに不幸なんだ、つまらないんだと感情はいずれ高ぶり、ぶつけ場所を探したときに、本当に納得のできるぶつけ場所がないことに多少の自覚があることに注目したい。たとえそれが人間関係に関わることだとしても、100%相手のせいだといえることは極めてないと言え、自責の念の散らつきも交えて空虚に陥る。そう、空虚!内部に主張を決定づける根拠があったとして理論上相手を負かすことができ勝訴、・・それでもまだ勝った本人の頭は絶えず動き続けている。「ざまあみろ」の後、すぐなんの変哲もなく明日がやってくることはないんだと。傲慢さからくる高揚感は一時の幸せ。心情が動いてる限り永遠の拠り所はない。加えて、容姿様態含め外の世界に自分という存在をさらけ出してることの無防備さ。生きていることが最大の弱点。自分の外側で無作為に起る未知の出来事、だけでなく、内側も絶えず、不安に満ちてる。

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発端(笑)後々冷静になって読むとなかなかずれてる(笑 関連してないかもしれない。
何故か、ある種の悲しさを感じてしまった。空怒り、伝わらない主張を進歩なく繰り返しもがく。