心屋リセットカウンセラージローです。
プロフィールの続き20歳から~
生きる希望
やれば出来るがもたらした栄光と挫折
カフェで働きながらアパレルショップを探していたわたし。
当時はメンズの販売自体女性が多く人気のアパレルは人員を選び放題
そんな時、カフェ仲間があのお店どう?さっき食事にきやはったんやけどやる気あるなら男でもいいらしいよ。
そのお店はレディースの品揃えショップ
今、ブランドンショップの本社部長以上なら誰でも知ってる会社。
そのお店は京都新京極にあるフアッションビルに入ってた
レディースか、、、
でも、好きな洋服屋で働けるなら本望だ!
こうしてアパレルに就職したわたし。
関西アパレル界でもスパルタで有名な会社
フアッション販売にもしよっちゅう乗ってた。
当時ブランドン主流だったアパレル
わたしが就職したのはお店の店長が色んなメーカーから買い付ける品揃えショップ。
しかし、数あるブランドンから館で常に2番1番を争うお店だった。
華やかなアパレル時代に周りのショップから私達がひそやかに呼ばれたあだ名
兵隊さん
そうだね、当時兵隊さんて呼ばれてた(笑)
アパレルの軍隊。
朝はオープン2時間前に出勤
品出ししてディスプレイしてレイアウトを変えて入荷商品の値段を暗記
わたしのショップは値段タグを見てはいけなかった。朝に素材と価格を頭に入れる。
それから朝のミーティング
叱咤激励?まぁ、ただ叱られる(笑)
仕事閉店後は毎日電車最終までミーティング
お休みは月に4回かな
突然明日休みね、とか言われますw
お正月は月に2回のお休み(; ̄O ̄)
まあ、よくやってたなと思います(笑)
大好きな洋服に囲まれて仕事するのが楽しくて、幸せだったわ(^。^)
しかしただ楽しいだけではありません
ブランド&キャラクター最前線のなかアパレルで生き残るには人生をかけなきゃいけない、、、
そんな時代でした
次回は「いきなり店長?先輩が部下」
アパレル時代~続く(^_-)-☆
JIRO