今晩は心屋リセットカウンセラージローです
わたしが何故心屋にたどり着いたのか

生きる為に身につけた自分を守る為にした生き方。そして人生最大の強制終了を受けたのです

生きる為に身についた癖がまさかわたしを苦しめ続けたなんて知らなかった。


幼少期から20歳まで
アパレル時代
名古屋で独立


長い歴史を簡単にプロフィール紹介できませんので何度かにわたってご紹介させて頂きます。





嵐が吹こうが槍が降ろうが自分の二本足で立ってると決めたから

世の中はたった1人だから誰も助けてくれないから。

だから誰にも頼らずただただ強く生きたかった




物心ついたときには父は働いてなくて賭博をやったり薬物中毒者だった

母がホステスをして子供の私達を養っていた。

兄と2人夜は食堂で母からもらったお金を握りしめご飯を食べてた。
朝は学校の前でパンとコーヒー牛乳を飲んでた



兄は小学4年からアルバイトを始めた。
最初は朝刊夕刊
6年生の頃には皿洗いもして家計を助けた

中学生の頃には朝刊夕刊に雀荘でアルバイト
40年前に中学生の兄は月に6万稼いで全て母に渡してた。

私は次男で可愛らしく生きてた(笑)
兄が家計を助けてたから自分の小遣いは夕刊や売店の作業で稼いだ。

兄は家計を助ける大黒柱
わたしは自分の為にアルバイト
しかし二人共まだ子供だた。



兄は中学卒業で直ぐに寿司屋に丁稚奉公にでた


兄がお父さんでした。

私が高校受験の時に1年半塾にかよったが兄が行かせてくれました。


働きもしない道楽者の父が受験の時にいきなり

この高校に行け。
そこ以外は駄目だ

私は成績以上のレベルを受け不合格
多分人生で一番の挫折

父は知らぬ顔をしてたが合格発表を見に来ていた
父のガッカリした顔

相変わらず1度も働いたことのない父が母と兄に働かせながら家族に毎日罵倒を浴びせた。


普通の家に生まれたかった
ずっとそう思ってた。
ウチの家だけ変だ
友達の家は父親が働き母がご飯を作ってくれる
そんな生活が夢だた。


高校は父が1つだけしか受けてはいけないと言ったのでわたしは定時制に通いながら就職した


独裁的な最低の父がゆるせなかった。
志望校に行けなかった
家族を支配する父を憎んだ

だから15歳の夜に家を出た

15歳から20歳まで生きるのに必死だった
食べるものがなくて栄養失調になった。

だからキラキラした街、キラキラした洋服に憧れた
時代はバブル
どうしても働きたい。

働きたいブランドンは当時男性店員は働いてなくてどうしても働きたいと再三お願いしたが採用はされなかった。

カフェで働きながらいろんなアパレルを探したがなかなか採用が決まらない

採用してくれたら自分は死ねくらい働くのに、、

夢を諦めたくない。

もう誰にも邪魔されたくない。
自分の生きる道は自分で決める


誰にも自分は支配されない
頑張れば世の中はなんとかなる
そう信じてた

10代のわたしはアパートの布団のなかで震えながらも夢だけを見て生きてた。