今日から日記を書くことにした。
自己紹介とか前置きは省略しまーす。
約2週間の帰省を終え、東京に戻ってきた。
やっぱり、東京は暖かい。そして雪もない。
どんなに地元を贔屓しても、住みやすさで言ったら敵わないな。
PM6:00頃、アパートに到着。
たまっていた郵便物とスーツケースの中身の整理が思いのほか早く終わったので、散歩に行くことにした。
外は真っ暗だったけれど、問題ない。
向かった先は、アパートから程近い某巨大公園。
ちょうど夕飯時せいか、いつもよりも人が少ないような気がした。
それとも、みんな年末年始からの3連休で、疲れているのだろうか。
まあいいや。
とにかくわたしは歩いた。
几帳面に線の引かれたジョギングコースやウォーキングコースではなく、その脇を通る遊歩道を。
健康面を考えればせめてウォーキングにするべきなのかもしれない。
が、あんな風にお尻を振って歩くのは、どうも苦手。
無理はよくない。だからたらたらと歩いた。音楽を聴きながら。
今日の音楽はGRAPEVINE(わたしの好きな曲集)。
「FLY」から始まり、「羽根」経由、「棘と毒」行き。
なかなかの珍バランスだと自負している。
歩き始めてすぐに気づいたのだけれど、今晩は月が丸かった。
満月だろうか。
天体のことはよく分からないけれど、わたしには満月に見えた。
だって丸かったもの。
美意識というのを、いかなるときも忘れたくないと思っている。
どんなに忙しいときでも、ちょっとしたところで美しさを感じていたい。
そんな生意気なことを日々考えているわけだけれど、わたしの美意識なんてたかが知れている。
月が丸ければ満月に見えるし、東京の空で弱弱しい光を放つ星だって、田舎とさほど変わらない綺麗さだと思う(まあ、数が違うけども)。
もっと言うなら。
人工物だらけの公園内。
等間隔で列を成したオレンジ色の街灯だって、綺麗だと思うんだ。
光のわっかができるでしょう。
街灯のライトの部分を中心に、ぼんやりとできる光の輪。
不思議なことに、外側にいくほど濃い色にみえる。白からオレンジへ。
今夜の月に比べたら、実に曖昧。ずっと見てると、酔っちゃいそうになるくらい。
まっすぐな道でそれを見た。
光のわっかが、同じ間隔でずっとずっと、永遠に続いているようにみえた。
視界いっぱいにでゆらゆら揺れる、不安定な光の集団。
わたしが泣いているのかと思った。
涙で視界がぼやけているのかと思った。
(実はそうだったのか?寒かったしね。)
あれは恐怖だった。同時に、美しかった。
こんな具合に、わたしの美意識なんてたかが知れている。
別の言い方をすれば、好感を持つハードルがかなり低い。
美意識に限らず、ありとあらゆる感覚で。
大抵のラーメン屋はうまいって感じるよってこと。(有名店の味とかよくわからない。)
この鈍感さを呪ったこともある。芸術的に見られたいと思われていた時期とかね。
今はそこまで嫌悪しているわけじゃないけど、やっぱり自分を不憫に思う。
たとえば今日の散歩中、1本の背の低い木にコンビニのビニール袋がかけられていた。
誰がどうみてもごみだった。
その光景は美しくなかった。ちっぽけな美意識に反するものだった。
だけどわたしは、そのまま足を進めた。
少し離れたそれに一瞬視線を移しただで、何もしなかった。
すぐに後悔した。あー、拾えばよかった。
でも、それすらすぐに忘れてしまった。
次に思い出したのは、公園を抜けるとき。清掃員のおじさんを見たときだ。
うまくできてるもんだ。わたしって。人間って。
日記を書こうと思ったのはそのときだった。
その日感じた大事なことを、忘れたくないと思った。
今度ごみがあったら拾おう。うん、そうしよう。
4年間の東京生活も残り3週間。
記憶に残しておきたいことは、たくさんあるような、そうでもないような。
とりあえず今日は、あの光のわっかをインプットしておこうと決めた。
あんな大きな公園も、まっすぐ続く遊歩道も、地元にはないからなあ。