昨日、テレビでやってた神戸新聞を舞台にした

阪神大震災のドキュメンタリー番組テレビ


旦那さんが勉強している隙にじっくり見たのですが、

もーーーーーーー涙涙涙うっ・・


報道対応の仕事をしている分、

仕事で一番付き合いがあるのは新聞記者さん新聞


実際、あのような未曾有の天災が発生したら、

いつも飲んで冗談ばっかしゆってるあの記者も、

あたしの結婚式の新聞一生懸命かいてくれたあの記者も、

一緒にゴルフしてるときは穏やかにニコニコしてるあの記者も、

家族の安否を確認するよりも、

きっと必死になって「真実の報道」のために、

東奔西走するんだろうな・・・ラン


と思ったら、そのプロ意識に涙パンダ泣く


みんな大事な等しい命なのに、救出に順番がつけられる、

炎の中に肉親がいるのに助けられない、

焼け跡でお母さんの骨を拾う子供・・・・・

同じ日本の、しかもたった15年前の話だなんて信じられないよねしょぼん


阪神大震災当時、あたしは中学生でした。

朝、登校前に神戸で地震があったことだけはニュースで知っていたけど、

午後にはその被害の大きさが先生から伝えられて驚きました。

我が家は父も母も大阪府出身大阪

そして、母の姉家族はじめ、神戸に住んでいる親戚も多数いました。


被害の大きさを知り、母は大阪の祖父母の安否はすぐに確認できたのですが、

(家の壁が崩れた以外は大丈夫でした)

長田に引っ越したばかりの母の姉家族には全く連絡がつかなくて汗


神戸に行く!!と言い張る母を

みんなで必死で止めたのを覚えています。


結局、届くかわからない宅急便に、

お菓子やチョコ、紙皿、トイレットペーパー、折りたたみポリタンク、ラジオ、

ラップ、生理用品、医薬品、下着、洋服などを詰め込んで送りました。


当時はいつ起きるかわからない東海地震に備えて、

日本で一番防災に気合が入っている静岡に住んでいたので、

上記のようなものが一式家に装備されていました。

(今は全然ないな・・・・見直さないと)


結局、震災発生から4日後ぐらいに、母のお姉さんから電話携帯があり、

家族全員が無事であること、

火災は逃れたものの、家は半壊状態であること、

めどがついたら、大阪の祖父母の家で当分は生活をすることを聞きました。


母は、安堵の余り、電話口でへたりこんでましたがあせる


おば夫妻は、早朝たまたま出かけていた先で被害にあい、

戻ってきたら自宅のベッドにエアコンがどーん!と落ちてたそうですドクロ

一歩間違ったら命の保障はなかったかもしれません。


その後、大阪の祖父母の家と、神戸のおば家族の家は、

今は亡き、当時現役大工であった祖父が、

一人であっとゆーまに直していましたネジ


東京だって、いつ何があるかわからない。

とにかく、旦那さんの会社が東京臨海地区&ガラス張りのおしゃれ高層ビルなので、

勤務中の震災がとにかく心配叫び


コレを機に、防災グッズ、見直そうと思ったのでしたDASH!


ちなみに、おばの「震災時お役立ちアイテムナンバー1」ラップだったそうです。

水が出ない、お皿が洗えない状況では、

紙皿にラップをかけて繰り返し使っていたとか。


皆様の防災グッズにも、是非入れてみてはいかがでしょうか?