どんなに可愛がっていても

犬猫に対する考え方を

なかなか変えられない人がいます。

 

どんなに感染が危ないと言われても

コロナに対する危機感を持てない人も多いです。

 

命は生きるために様々な活動を

私たちの心身に要求します。

しかしながら

私たちに最も必要なことは

生きること。

生き延びることです。

 

人の動きが経済の歯車を回します。

 

コロナになり

経済を回すために

必要とされていた人々の興奮が

コロナの感染を

煽ることになるとわかり

人の動きを

あの手この手で止めようとしていますが

人々が「死」というものを

フィクションとして

対岸のものと捉えることに

慣れてしまっている現状

行動変容はより

難しいように思います。

 

身近な人の死でさえ

自分の命からしてみれば

他人事です。

 

自らが

死にかけるような

経験がないかぎり

死に対する

想像力や危機感は

正常には働かないものの

ような気がします。

 

世界中をコロナが席巻し

人が生きることや

死ぬことの本質を

考え始めましたが

それ以前から

現代社会は

あまりに苛烈な

生死の矛盾を

抱え続けて来ました。

 

人の心を捨てた人間が

死にたくて人を殺し

生きたいともがく人間が

自ら命を絶つ。

 

そんな矛盾が

まかり通っていることにすら

私達は慣れすぎて

気がつけなくなっているのです。

 

コロナに勝つということは

これまでの当たり前を見直し

社会の常識の壁や歪みを取り払い

私達一人ひとりが

自分の人生や命に

どう向き合うかの

戦いであるような気がします。

 

原点回帰。

 

国を超えて

同じ病いに立ち向かう今

皮肉なことに人類は初めて

一つになっています。

 

私達一人ひとりが

大切なものを守るために出来ることは

あまりにシンプルなことばかり。

 

家族以外の人に会わない

手洗い・・うがい。

 

そして今、

打てる手立ては

それしかないという

驚愕の事実

強烈なまでに実感するべきです。

 

自分や家族

大切な人達との日々と未来を

真剣に考える愛情や

想像力を待てなければ

何かを失った後の日々に

思いを至らせ

様々に養生することもなく

惰性的で刹那的な生き方の方を

望み続けるのだと思います。

 

どんなにその先に

不幸的な事態が待っていると

教えられても

人は慣れ親しんだ行動を変えることを

後回しにします。

 

自分の身や命を守ろうとする時

最大の敵は

自分自身であることを

私達は肝に命じて

おかなければなりません。

 

私は、犬や猫達と暮らす日々を

手放すことが出来ません。

だから、すべきことをするしかありません。

 

私達は自分を甘やかすことは好きですが

大切にすることはとても下手です。

 

自分のためというと

自分のことだからと

すぐに棚にあげたり

降ろしたりしてしまいます。

 

「誰かのために自分を守る」と

考えて初めて中身のある防御が

叶うような気もしています。

 

そう考えると

自分以外に

大切なものがある人生

というのは

それだけで

その人自身を

見えないところで

守り支えているんだなと

実感しています。

 

経済と命の天秤と

言われていますが

人の流れより

お金の流れを止めて

生きるために必要なものだけを

配給制度のようにして

国を挙げてロジカルに回し続ける。

 

コロナ禍

エクモが本当に必要なのは

経済そのものなのかもしれません。

 

国や都が躍起になっている

感染対策は

どんなに頑張っても

空気に色をつけるようなものです。

 

政府がいくら

水際対策を尽くしても

私達の体の水際対策は

私達自身に

委ねられています。

 

人の営みの全てを

感染という大波が

遠くから静かに圧政しつつある

シビアな現実を

私達は真摯に受け止めるべき時に

来ていると思っています。

 

最後になりましたが

体力的に自信のある男性は

こうした事態に対しての

危機管理が下手です。

 

体力的に非力な女性は

自分や大切な命を守るために

想像力豊かに

危機に対して

敏感に反応出来ると

個人的には思っています。

 

弱いものが

一番強い。

これは危機管理にも

言えることかもしれません。

 

全ては命あってこそ。

 

自分の大切な人や

毛むくじゃらな彼らを

守るため

自分の命を

どうか、守り抜いて下さい。