正直、支援を募って

活動するというのは

すでにボランティアと

言わないんではないか。

 

自分の生活を

豊かにする努力が

先にあって

初めて、その私財で

活動するのが

本当の「ボランティア」

ではないかと。

 

活動が資金を

生むとなれば

これは、もはや

経済活動に

なってしまうわけで・・


昨今の保護犬ブームで

愛護団体が

ちょっと審査の煩い

ペットショップみたいに

なっている感が否めない・・。

それって、愛護が

目指しているものから

遠く離れているような

気がするのは

私だけでしょうか・・。

 

活動自体が資金を生み

それだけが頼りだから

無理をしたくなくても

多少の無理を

せざるを得ない。

 

「保護譲渡の活動が

いらなくなる社会を」

と思いながら

なくすために本当に必要な

教育や啓蒙に力が入らない・・。

 

お金も時間も人手にも

余力がないから

活動を維持するために

保護譲渡だけは

無理をする。

 

無論、支援金に頼らず

個人の私財で

活動されている方も

中にはいると思いますが

支援金を募ることで

規模の拡大を目指す

愛護団体という

ビジネスモデルが

ネット環境の整備と共に

社会に定着したがために

どんな人でも

資金を募り「愛護団体」を

立ち上げることが

容易になってしまった。

 

犬猫を助けるためにと

感情的な発信を繰り返し

支援金を募ることや

一人の手に余るような数を

引き出し、引き受け

犬猫達の飼養に

専念せざるを

得なくなる。

結果、

その対価として

支援金が当てられ

それで生活

していくことになる。


そうして、いつしか

犬猫達への支援が

その周りにいる人間の

生活の糧へと

すり替わっていく…ような

気がしてならない。


無論、飼養管理の人手を

確実に確保するために

有償のスタッフが

配置されることは

あって然るべきだと思う。


問題は

それが公益に資すか

ただの独裁に資すかだと思う。


いずれにしろ

活動を司る人間

生活がかかってくれば

頭でわかっていても

自前の範疇を超えたことを

繰り返さざるを得なくなる。


支援や寄付に頼ることに

慣れてしまえば

口八丁手八丁で

嘘を重ね続け

それが本当のことと

思い込む

自分で自分を洗脳しながら

見知らない人の

感情を揺さぶり

日々を喰いつないでいく。


今回の京都の事案はまさに

それを実証してみせたものの

ような気がしています。


動物愛護に

関わる人間にとっては

何人たりとも

他人事では済まない話だと

感じています。


この事案に対し

様々な立場の人から

様々な意見が

持ち上がっています。


あれだけ有名で

実績があるのだから

資金を調達することも

人手を集めることも

やろうと思えば

出来たはず…


もっとうまく

やれば良かったのに…。と。


たしかに
そんな風に器用に
立ち回れる人だったなら

こんな事態には

なっていないのかもしれない…。


でも。


この問題

この事案から

私達が理解すべきことは

そうしたことには

ありません。


「犬を飼うなら

保護犬を」という

願いはあるけれど

知識のない人

心や経済的に

余裕のない人に

心の回復を必要とする

保護犬を安易に

迎えさせることは

里親も犬猫をも

幸せにはしない。

 

だからこそ、単なる

お見合い以上の「学び」が

希望を受け付ける前に

必要であるはずなのに・・

 

そんな面倒なことを

する暇もないし

人手もお金も無い

第一そんなことしたら

応募なんてしてこなくなる・・

 

本当にそうだろうか?

 

その努力をせずして

何を愛護するというんだろう。


私達は可哀想な

犬猫の命を助けたいだけ。


命さえ里親に繋げれば

後は、里親になった人が

頑張ればいいと

考えているとするなら

今回の事案を

どうこう言う資格は

ありません。

 

善意から

保護犬の里親に

なったものの

犬という動物との

暮らし方や接し方に

悩まれている方達に

適切な対応を

教えることも出来ず

わけもわからないまま

トレーナージプシーに

してしまうなんて

本末転倒のことだと思う。


里親になる人を

ルールで

がんじがらめに

するだけでは

何も学ばせられないし

育てることも出来ません。

 

里親応募の条件として

事前の学習機会があれば

里親になる心構えも

里親にはなりたい

けど・・なれない

という自覚も

予防的に持てるだろうし

本当に里親になりたければ

自発的に学ぼうとする

きっかけにはなると思う。


明日をも知れない命の犬猫達を

一日も早く引き出すためには

そんな悠長なことをしていられない。

多少の譲歩をしても

譲渡を進めなければ…

 

…え?


そんなことすら厭う人に

私だったら絶対に

譲渡なんてしたくない・・。

 

質を求めていたはずが

長くやればやるほど

だんだんと

効率を求めるようになる・・。

 

見た目の良い子なら

譲渡が決まりやすく

犬猫の保護譲渡の

回転率が上がり・・

病気やシニアの子なら

感情論を煽って

資金が集まりやすい・・

 

そんな

簡単なことではない?

 

でも、問題はそれが

簡単かどうかでなく

そういう考えが

あるか無いか

ということ。

 

現状維持するための

譲渡金や支援金のためには

潤滑な保護と

譲渡のリズムを

滞らせるわけには

いかないというのが

団体を主催する側の

本音にあるとしたら・・

 

そうした

「活動モデル」自体が

広く一般の方達や

飼養者希望の方達に対しての

適切な学びを齎す

絶好の機会を

失わせているのではないか・・

 

社会一般に

これだけ

愛護団体がある中で

適性飼養の考えが

広く認知されていかない

大きな原因は

「愛護団体」の手法や

そのあり方に

問題があるような

気がしてならないのです。

 

犬猫に対しての

間違った常識を

濾過する社会的装置として

機能しようとする指針を持ち

そこに集う一人一人が

学びを届けられるよう

人間的に成長し

させていくくらいの

気概が持てないとするなら

それは、いくら命を救えたとて

付け焼き刃な

バトンリレーを繰り返すだけの

活動で終わってしまう。

 

そんな団体の中では

無償で働く

ボランティアさんなどは

ていのいい

お手伝いさんに

過ぎないのではないか…

 

そもそも、無償で集う

ボランティアの心根を

一体なんだと

思っているんだろう…。

 

こんなふうに

団体のあり方を

問うとするなら

一方で

手伝う方のあり方も

問われます。

 

救われた一頭の命を

皆が賛美し涙する

それはとても

尊いことではあるけれど

その裏で

犬猫達をすりつぶす

巨大な歯車は

依然回り続けている。

 

犬猫達を巡る

感動ポルノ

悲嘆ポルノの共有を

活動の燃料や

軸にしていれば

その歯車は

ビクともしないまま

止まることも

壊されることもなく

回転し続けていく

という現実を

心ある人であるなら

しっかり

認知すべきだと思います。

 

その歯車を止めるためには

犬猫の命のみならず

人々の心を救う

ことだと思っています。

 

医療従事者が

コロナで大変な今

彼らに対して

何がしかの援助や

支援をする愛護団体が

どれだけあっただろう。

 

譲渡会が出来ない・・・

マスクの売り上げを

犬猫達の支援金に・・・

 

何か違うような気がするのは

私だけでしょうか?

無論、みんな個人で

それぞれやっている・・。

 

でもね

 

こんな時

だからこそ

例えば

愛護団体のボランティアの

ネットワークを駆使して

マスクをたくさん手作りして

必要な所に寄付しよう等

という発想が

あってもいいのではないか。

 

愛護団体に集う

心ある人達の

存在の素晴らしさや

保護された犬猫達も

同じ社会の一員である

ということを

認知してもらい

動物愛護に対する理解者を

増やす良い機会で

あるはずなのに。

 

いつまでたっても

内向きの仲間や

賛同者に向けての発信…

譲渡会を早くしたい・・

可愛い子達が待ってます・・

という話ばかり・・

 

社会に対して

何かした分だけしか

返されないのが

世の常です。

 

広く一般に対して

社会の一員として

寄付を募り活動を

行っているなら

愛護団体同士の

美辞麗句の助け合いの前に

もっとすべきことが

あるような気がする。


広い世間に対し

利他の精神で社会貢献を

するつもりもなく

犬猫達を守りたいと

心からの活動をされている方の

時間や労働、お金を言葉巧みに

搾取するばかりの団体は

人のためにも

犬猫のためにも必要ない。

 

犬猫の命を盾にした

誤魔化しの愛護は

その他多くの

救われない

彼らの苦しみを

ただ引き延ばして

いるように感じられて

ならないのです。


こんなふうに感じるのは

私が冷血漢だからなのか…。


手を差し伸べてもらえた

助けられた命より

いつまでたっても

そこにあり続ける

助けられなかった命への

申し訳なさばかりが募るのです。


長い長い

私の自問自答です。


お気を悪くされる方が

もし、いましたら

どうぞ読み捨てて

頂けたらと思います。