人の善意を

あてにする人

感謝もなく

人の優しさを

平気で搾取する人

動物愛護を唱えていても

人に対してちゃんとした

思いやりを持てないとするなら

愛護を語る資格すら

ないと思っています。

 

今は動物愛護に限らず

災害などの際の

ボランティア活動なども

当たり前になってきた反面

ボランティアという価値観の

齟齬も起きてきている側面が

あるような気がしています。

 

ボランティアという行動は

あげたり、もらったり

するものではありません。

 

どんな場面にあっても

ボランティアをさせて頂く。

ボランティアに来て頂く。

 

協調と尊重と感謝の世界。

 

そうしたお互いの

価値観の一致がなければ

せっかくの気持ちが

どんな熱量を持ってしても

あっという間に

その色合いを変えてしまう

そんな危うさを

感じてもいます。

 

ボランティアは

求められることに対して

自分の出来る範囲のことを

やらせていただく

それ以上でも

それ以下でもありません。

だからこそ

広く薄く

たくさんの人が

関わって行くことが

望ましいと思っています。

 

みんな等しく愛おしく

大切な命。

動物愛護に

関わる人なら誰だって

命の選別なんてしたくない。

 

だからこそ、常に

選択を迫られる

現実は重苦しく

だからこそ

救えた命への思い入れは

良くも悪くも

特別なものになるのです。

 

彼らの命を数字で表す

ナンセンスさから

いまだに

脱却できない社会の中

向き合う命の全てを

救えたらと願う前に

捨てる人間を減らすこと

彼らとともに

生きられる人間を増やすこと

そこに尽力することが

何よりも

急がれると思っています。

 

彼らの命を

「本当の意味で救う」ためには

命を救ってから

その命を看取るまでの

義務や責任が果たせるかどうかの

理性的な判断が欠かせません。

 

それがなされていなければ

形や場所を変えただけで

どんなに良い事を

しているように見えても

非情で無責任な飼い主と

同じ事をしている可能性も

出てくるのですから。