どんなものでも
見立てが違えば
アプローチが
違ってきます。
そして
立ち位置が違えば
見えてくる景色も
変わってきます。
人はそもそも
見たいものだけを見て
聞きたいことしか
聞かないように
出来ています。
犬猫と暮らす私には
一番身近で
大切な話
例えば
動物愛護の話など
世の中から見たら
大して
問題にもなっておらず
そもそも
そんな問題にすら
気づいていない人の
圧倒的な多さに
改めて
愕然としています。
動物愛護の
活動をしていたら
当然ながら
それに
携わっていたり
興味のある人達が
身近に多くなるのは
当然であり
熱心になればなるほど
その関係の濃密さも
増していきます。
でも、世の中は
そんな熱量の
届かないところで
厳然と
大きな変化もなく
回り続けている。
法改正や行政への提言
多頭飼育崩壊の問題
それを伝えるニュースが
全国に向けて何度流れても
現実的な変化には
結実していかない現実。
他方
動物愛護への
熱量の差は
皮肉にも
動物愛護を知る人と
知らない人という
両者を隔てる溝を
一段と深めてしまって
いるような
気すらします。
残念ながら
正しさだけでは
人は動くことが
出来ません。
だからこそ
可哀想や
可愛いという
情動的な見せ方が
動物愛護の
啓蒙活動には
有効だったのだと
思いますが
もはや
そうした手法では
人と犬猫
双方にとって
望ましい未来を
描けないとも
感じています。
人として
どう生きるべきか。
その模索の中にこそ
犬猫達の持つ
本当の魅力に
気づかせられる
鍵があります。
自らの
ありのままを
受け入れる勇気を持ち
この瞬間に生きる。
そんな
彼らの姿を
お手本に
私達はすでに
十分に
満たされていることに
気づくこと。
しあわせの始まりは
過去の訂正や
未来の確約からではなく
周りの人へ
思い遣りを持ち
先頭に立って
明るさを
見出し続けること。
批判や愚痴に
時間を費やすことなく
自らを正しく愛して
励ますこと。
人が誠実に
生きようとした時
その伴走者として
彼らは
その命を懸け
全身全霊で
私達人間の
心の前に
後ろに
立って
支えてくれる
はずなのですから。
人に誠実でない人が
犬猫達に誠実で
あれるわけがありません。
人がよりよく
生きようとする
心の環境こそが
犬猫達の
安息地。
それを
知らせるためには
何が必要なんだろう
何が足りていないんだろう。
これから先の
人と犬と猫のために。
一緒に考えてくれる人募集中。