どんな組織でも

トップの鈍さは

組織そのものの崩壊が

迫っていることを

意味しています。

 

芸能界も

一般の会社も

家庭も

飼い主と

飼い犬の関係も

 

全て

一事が万事。

 

どちらが偉いとか

どちらが正しいとか

立場が上とか下とか

雇うとか雇われるとか

そうした関係性を

超えたところに

人と人の繋がりはあります。

 

大きな会社に

勤めていたら

そのトップの人達に

会う機会は

ほとんどないかも

しれないけれど

どんな組織にあっても

率いる人間の人間性は

シャンパンタワーのように

上から下へと

嘘偽りなく

流れていくものです。

 

それは

偽りやごまかしで

隠せるような

ものではないし

トップの

腹の底にあるものが

末端の人の顔に

現れるのは

古今東西

大小の差もなく

同じではないかなと

思います。

 

心が荒むばかりなら

どんなに条件が良くても

人はそれを

続けることが出来ません。

 

その逆も然り。

 

心が励まされるなら

多少の無理をしてでも

人は何かに

ついていこうと思う。

 

犬達だって同じ。

 

率いる側が

自分の思いばかりで

従するものの心に

思いが至らなかったなら

飼い主が自分の心を

満たすことに一生懸命で

犬達の基本的なニーズに

応えられていなければ

その関係性が

お互いにとって

望ましくないものに

変質することは

思うよりもずっと

簡単なことです。

 

様々な関係性の中

可哀想や助けたいと思う

心の中に

施しの心が少しでも

混じるなら

その相手と

関わることは

相手のためにも

やめた方がいい。

 

与えるばかりの

施しではなく

叱咤を含んだ

励ましでなくては

物事は

絶対に

前進していかない。

 

従するものに対して

常に批判的で

独善的な

ジャッジに忙しく

不都合に対して

沈黙や攻撃で

よりパワフルに

相手をコントロール

しようとするなら

そもそも

誰かや何かを

率いる人間には

ありません。

 

少なくとも

私にとっては。

 

真に高潔で

慈愛に溢れる

人間性であったなら

下流に流れ込む水さえ

温かく

澄んでいるはずで

その心は

細部に渡り

全ての命に

分け隔てのない

励ましと

労りと

感謝しかありません。

 

そして

その感謝が

純粋で明るさに

満ちていればこそ

尽くす人の心は

淀みなく

満たされていくのです。

 

私たちが

犬達に

夢中になる理由は

そこにあるような

気がしています。

 

これは決して

難しいことでは

ありません。

 

少なくとも

犬に感謝できる

心があったなら

すでに、その心は

下種されているのですから。

 

私は犬達に

感謝しています。

 

ここに

こうして

眠り呆けていてくれる

そのことに

感謝している。

 

彼らが何を

してくれるわけではない

そして、私が

彼らに

何をしてあげられるわけでは

ないけれど

お互いに

生きていること

それ自体に注目し

励まし合い

労りあい

感謝しながら

生きている

その事実だけが

心を真に

満たしゆくという実感を

納得をくれているのが

犬という

摩訶不思議な

生き物なのです。