犬猫を捨てる人間。

捨てられる犬猫も
不幸だけれど
捨てる人間はもっと
不幸です。

人にとって
家族を看取ることが
出来ないことほど
不幸なことはありません。
物理的なことではなく
看取れる関係性が
失われているとしたらという話。

それは犬猫にも言えること。

手離さなければならない 
事情は様々ですが
恐らくそうした事態の背景には
様々な
人間の心の不幸が
あるような気がします。

生きていれば
色々あるのは
皆同じ。

彼らとの
暮らしを守るため
それを糧に
諦めず
頑張る人がいる一方で
あっさりと
彼らを捨てる人もいる。
良き人に
拾われると信じている
人もいる。 

したことは
いつか必ず
我が身に
降りかかりますから
彼らを捨てる人は
いつか、誰かに
捨てられる人生を
選び続けていくんだと
思います。

大切なものを
大切に出来ない不幸。

絶対に
裏切ることのない彼らを
裏切る不幸。

無償の愛を
無下にする罪。

そもそも
彼らとのかけがえのない縁に
気づけないのも不幸なら
人生の大きな意味を
知らずに生きることも不幸。
彼らとの暮らしに
豊かさを感じられないのも
不幸なら
いつか、後悔することを
想像出来ないのも不幸。

犬猫を飼う
飼わないと言う前に
心が未熟で
不幸な人達が
この社会には
たくさんいる 
ということなのです。

未熟なら
成長したり
させたりすればいい。

わからないなら
聞いたらいいし
知らないなら
知ればいい。

手離す人の反対側には
有り余る数の犬猫を
抱え込んでしまう人もいます。

多頭飼育崩壊
してしまうのも
結局は、人間の
心の不健康さや
不幸に
由来しています。

人と人が
心地よくつながっていなければ
その心と心の隙間から犬猫達が
滑り落ちていくのです。

誰を憎むこともなく
誰を責めるわけでもなく
滑り落ちていくから
私達がいたたまれない気持ちに
なるのだと思います。

だからね、私達は
幸せにならなければならない
彼らに幸せに
してもらうんではなくて
自らの足で立って
幸せに歩き
彼らを引き連れて
生きなければ
ならないのだと
強く思い至るのです。

幸せはどんな時でも
自分の内側に
ありますから
幸せになる!というより
すでにある幸せを
自覚することが
大切なんだと思います。