虐待事件が
頻発しています。
子供にしろ動物にしろ
無抵抗な命に
向けられる
あまりに
無慈悲な行為の数々
虐待事件に関しては
犯罪者と加害者だけの
問題ではなく
その周りに居る
第三者のあり方も
大きな問題だと
感じています。
傍観者が
事態を
最悪化させる。
子供にとっての
「最後の砦」
としての機能を
期待されながら
その期待に
応えられていない
児童相談所のあり方が
ここのところ
クローズアップ
されていますが
動物愛護の問題で
センターを叩くのが
筋違いであるのと同様に
児相を叩くだけで
問題を解決しようとするのは
あまりに短絡的です。
愛護センターや
児童相談所は
地域社会の中にある
行政サービスの
ひとつでしか
ありません。
何年かに一回
配置換えされていく
職員は
公務員であり
法律を遵守するのが
職務なのですから
そうした人達に
根本的な
問題解決を
求めても
無意味
なのです。
まずは、
私達一人一人が
無慈悲で
無神経な
傍観者に
ならないように
心掛けていくしかないと
感じています。
犬を飼っていると
毎日の散歩が日課です。
お散歩の時間も自ずと
決まっていたりもしますし
その時間に
公園などで会う人も
決まってきたりします。
犬を連れていると
挨拶のハードルも
下がります。
小さなことではありますが
そうした散歩の習慣の中で
子供達や
高齢者の方への
さりげない声がけや
温かみのある挨拶を
心掛ければ
それ自体が
散歩の楽しみの
一つにもなりますし
地域を見守ることにも
繋がるでしょう。
普段からほんの少し
周囲に気を
配っているだけで
小さな異変や
SOSに
気付きやすく
なります。
ささやかなこと
ではありますが
そうした
小さな違和感を
キャッチ出来る
感性を磨いていてほしい。
そして、違和感に対して
どんな行動が
必要とされるかを
普段から
イメージしていて
ほしいのです。
その感性は
犬と暮らす上でも
役立ちます。
そうした、感性を
身近な人達と
気軽に共有し合えたなら
動物達にしろ
子供達にしろ
高齢者にしろ
あらゆる場面で
救える命が
もっと増えるような
気がしているのです。
事を荒立て
なくても
出来る事は
あります。
そうした地道な
心掛けや声がけで
救われる気持ちや
命があると
この機会に考えてみて
いただけたなら
幸いです。