先日、犬の散歩中
目の前で
猫が車に轢かれてしまいました。

数メートル離れた先の歩道に
ふらっと猫が現れて
私達の姿か
または他の何かに驚いて
植え込みから車道に飛び出した瞬間
通りがかった車の下に入り込み
轢かれてしまいました。






あんなに大きく渇いた
破裂音がしたのに
轢いた車は、一度も止まることなく
行ってしまい
轢かれた猫は
下半身を引きずり
数秒悶えたあと
道の真ん中で動かなくなりました。







あまりに
あっという間の出来事…
とにかく
道路の真ん中で
動かなくなった猫が
また再び車に
轢かれてしまわないよう
大きな声を上げて
身振り手振りで
走り来る車を
止めるのがやっとでした。

行き交う人は
あったものの
そんな私や猫の姿に
立ち止まる人も
ありません。

これが野良で生きること
また、迷子の犬猫が
晒され続ける
現実だと思うと
やり切れなさで身体が震えました。

安全な場所に
一旦我が家の犬達を繋いで
急いで
轢かれた猫を車道から
歩道に移動させ
脈を取りました。

まだ、身体は温かくて柔らかい
脈もかすかに動いているような気がする。
気を失っているだけかもしれない…

そんな願いもむなしく
鼻からは血が流れて
瞳孔も開いたまま。

猫は死んでしまいました。

犬達を連れ帰り
猫を入れる箱を持って
現場脇の歩道に
主人とその猫を迎えに行きました。
私と会わなければ…
私が違う時間に
散歩していたなら…

思う事はいろいろあっても
目の前の現実が
変わることはありません。

とにかくは
轢かれてしまった猫を
我が家に連れ帰り
亡骸をご安置。

目の前の猫を名無しのまま
旅立たせることが嫌で
戒名代わりに
ファミリーネームを冠した
名前をつけました。
見た目には
本当にきれいなままで
今にも動きそうなほど
だから幾度も顔を撫でたり
身体をさすったり
もしかしたら
息を吹き返すのじゃないかと
寄り添っていましたが
息を吹き返すことは
ありませんでした。

以前に近所の路上で倒れていた
瀕死の黒猫や
生まれたての弱った子猫を
保護したものの
助けることが出来なかったことが
繰り返し思い出されました。

みんな、死んでしまう。

やり切れない気持ちを抱えたまま
朝になりました。

轢かれた猫は
オス猫で
見た目はとてもキレイな
シロキジの
大柄な子でした。
歯を見ると
犬歯などもかなり磨り減り
ボロボロでしたが
それが年齢のせいなのか
環境のせいなのかはわかりません。
見た目の綺麗さから考えると
どこかの家で飼われていた
可能性もなくはないと思いましたが
首輪などはなく
ネットで迷子情報なども調べましたが
おうちの特定はかないませんでした。

私はこの時点で
一つミスを犯してしまいました。

亡くなってしまったことで
頭がいっぱいで
マイクロチップ埋め込みの有無を
動物病院に連れて行き
確認することを
完全に忘れていました。
見送った後、
数日経った今になって
そのことに思い至っており
もし、探しているご家族があったなら
大変申し訳なく思っております。

また、亡骸に関しては
個人的に関わりのある
お寺がないため
行政に引き取りを依頼。

野良ではなく
我が家の猫として
引き取って頂きました。

行政のなかでも
清掃局の管轄という響きで
行政への依頼を嫌う方は
多いと思いますが


最終的には
しっかりと
行政から委託を受けたお寺で
合同葬儀して下さいますので
ご意見や、賛否はあるかと思いますが
私達の心で送り出すとの思いから
お願いしております。


ある地方都市に
こんなデータがあります。

この数字は
地方都市ですから
都内のように
車が爆発的に
多い地域での数字は
統計にあがらないだけで
想像を超えたものであると思います。

マイクロチップを挿入していても
ハガキによる登録が完了していなければ
意味がありませんし
私がミスを犯したように
迷子収容だけでなく
遺体収容に関しても
照合をすることが行政として
義務化されていなければ
せっかくのマイクロチップも
意味を成さないのです。

また、ペットとの別れの4割が
迷子や事故というデータもあり
こうしたことは飼い主の側の
大きな精神的痛手にもなりますから
飼育者としての素養を養う
教育的な視点からも
しっかりと危機感を育てるための
ネガティブな情報提供を
行政も嫌がらずに行っていかなければ
ならないのではないかなと
思い至っている次第なのです。

我が家には現在
多頭崩壊した現場から
保護された二頭の猫が来ています。

猫を保護していながら
目の前の猫を
助けることも出来ない無力さ
今この瞬間にも
人知れず
こうした現実が
静かに繰り返されているんだと思うと
殺処分以上に
放し飼いや迷子問題の
根深さを考えずには
おれない気持ちになりました。

逸走や迷子は常に
身近な危機としてあることを
犬飼い、猫飼いの一人として
あらためて肝に
命じる出来事になりました。