普通の人が
命についての
当たり前に普通なことを
当たり前に考え直すこと。

人間の心が変わらなければ
彼らの現状を
変えることは出来ません。

正しいことを知ることで
変わる心があります。
哀しみや喜びを知ることで
変わる心があります。
誰かのチカラになることで
救われる心があります。

社会の様々な問題の根底
特に犬猫を取り巻く問題を
より根深く
複雑なものにしてしまう影には
社会全体が抱える
人々の孤立化があります。

現代社会は個性重視の社会です。
個性は尊重されるべきことだからこそ
個性の捉え方を
履き違えてはいけません。
個性の捉え方を履き違えた
個人主義の行き過ぎが
今の社会の悪循環を生んでいると
個人的には思っています。

個性とは
好き嫌いを
叫ぶことではありません。
壁にぶつかった時 
どう乗り越えるかが個性であり
何かを成し遂げようとした時
どう努力するかが個性です。

個性を叫ぶあまり
主張するあまり
他者を蔑ろにすることに無頓着になれば
他者から蔑ろにされる番が回ってきます。

他者を思いやることが出来たなら
望まない孤立からは解放されます。

一人一人が孤立から解放されたなら
社会全体を被っている閉塞感は
あっという間に
消えてしまうかもしれません。

犬猫達を取り巻く問題は
あまりにも根が深く
絶望的な気持ちになったりもするけれど
一人一人が彼らの問題の真実に気づき
他方で他者を思いやれる
素地を獲得出来たなら
私達と共に在る
犬猫達を取り囲む苛烈な現状は
雪が解けるように
消えてなくなっていくような
気がしているのです。

目に見える戦争は
遠い昔の話ですが
私達の社会や一人一人の心は
すでに、安らぎや繋がりを
見失いつつあって
ある意味で現代は
目に見えない
戦争状態ではないかとさえ思います。

犬達の問題行動が
そんな人間の行動や社会の在りように
由来するものであるとするなら
彼らは「鉱山のカナリア」のように
私達の目前にある生活上の問題より
もっと大きな
人間の心や人間社会の破綻を
未然に防ぐための警告を
種として
近しい隣人として
様々な形で目に見える問題にして
私達に伝えているような
気がしてならないのです。

犬達が健全に生かされた後には
健全な人間関係や
かけがえのない絆が
残されて行きます。