ブリーダーが

犬をどうやって

交配、繁殖させているか
考える人は
少ないかもしれません。
 
ホームページの綺麗さや
美辞麗句。
見学させるために整えられた
飼育環境の良さを信じて
ブリーダーの言うままに
子犬を買う人が後を絶ちません。
 
どこから迎えようが
犬は犬。
犬の可愛さに
変わりはありませんが
ブリーダーの大きな嘘には
濡れ手に粟のような
利益主義が隠されています。
 
見えない場所で
お金を生む道具として
無理を強いられている
犬達がいる限り
それがその人間の
生活の糧であったとしても
それを良しとする
訳にはいきません。
 
犬の健康を第一に考えたなら
繁殖や交配をするためには
専門的な知識が欠かせず
ブリーダーの
生活の糧にするほどの数を
生産すること自体
犬の健康を頭から
度外視していると
言わざるを得ません。
 
犬を扱うほとんどの業態は
人間に向けてのサービスであり
犬の健康を考えた
過不足ない
適正な価値観を用いれば
本来は利益の追求など
到底出来ない業界だと
個人的には考えております。
 
「犬 交配 画像」と
検索しみてください。
 
犬の繁殖がいかに人為的で
欲にまみれた人間の
手垢にまみれているかが
わかります。
 
発情期のオスとメスを
身動きが取れないほどの
狭いケージに押し込んだり
メスの頭を押さえつけ
オスを当てがったり。
 
生まれた子犬を
産んだそばから
引き剥がし売り捌くのが
愛のある人間の
やることかどうか
考えなくてもわかるはずです。
 
犬を家族と言いながら
人間的な扱い方を好む一方で
その現状は
あまりにも
矛盾し過ぎているのです。
 
自然や動物は
劣性の遺伝を
回避するために
鉄のルールの中で
繁殖していきます。
 
強いものが残り
弱いものが絶える世界です。
 
しかし人間は
その限りではありませんし
人間の生活圏の中
庇護下で暮らす動物達も
その限りではないのです。
 
それは良くもあり
悪くもあります。
 
動物にとっての弱さとは
健康か否かです。
 
健康がすでに損なわれていたり
遺伝的なエラーの発生が
予見されていても
見た目の可愛さを追求し
繁殖してしまう
それこそが
ブリーダーの問題の本質なのです。
 
今回、なぜこんなことを
改めて書いたかというと
ペットショップに並ぶ
ミックス犬と言われる
犬達の背景にある
超乱繁殖に気がついて
欲しかったからです。
 
大きな犬種と
小さな犬種を
掛け合わせた時
とても珍しく可愛い
新種のような犬が
生まれるかもしれません。
 
珍しさや可愛さは
売れるための一番の条件です。
 
しかし、大きな犬種の子を
小さな犬種の親が産もうとした時
母体の命は妊娠、出産共に
危険に晒され続けます。
 
小さい犬種同士
だったとしても
その骨格の違いから
母体のリスクは
当然ながら上がります。
 
母体やそこに宿る命を
自分の利益のために
危険に晒しながら
ブリーダーは
何のリスクも負いません。
 
犬の前に餌と水を置き
売るための算段をしながら
ただ、生まれるのを
待つだけです。
 
人が新種として
珍重する
それぞれの種の
特徴の多くは
遡ればある時期に起きた
突然変異であったり
奇形を由来にしています。
 
人と違う珍しさや
癒されたいという
一方的な思い。
インスタ映えするとか
しないとか。
 
そうした
命を命として
また、今を生きる
同じ仲間として
動物達を見ることが
出来なければ
動物を迎えること自体
「幸せな選択」とは
程遠いものであると
理解していただきたいのです。
 
偏った自己中心的な価値観は
やがて、その人自身の人生に
暗い影を落とすこともある
動物達は静かに
私達に伝え続けているのです。
 
今を生きるということは
社会や他者の存在無くしては
あり得ません。
 
凄惨な事件や事故を
毎日のように
目の当たりにする中で
高い知性と高い社会性は
もはや人間以外の動物や
自然にのみ
存在しているのではないかと
思わざるを得ないような
心境になるのです。
 
知性は学歴では測れません。
社会性は年齢や
立場では測れません。
 
動物達は私達が
生まれた瞬間に持っていた
純粋な価値観に溢れています。
 
無償の愛。
 
それこそが
何よりも
自分を満たす
愛の本質だと
彼らは
生まれながらに
知っていて
その澄んだ命に
私達の心のあり様を
鏡のように
映し出しているのです。