各地で多頭飼育崩壊が

止まりません。
 
心ない人たちのために
心ある人たちが
奔走させられるような
レスキューがあちこちで
繰り返されています。
 
心ない人間の
向こう側にいる彼ら
犬や猫達を
助けたいという人達の
心理的な足元を見てくる様な
狡猾さすら
持ち合わせる人間に
もはやつける薬はありません。
 
心ない人間が
引き起こした現実に
心ある方達の
貴重な時間や
お金が奪われるなんて
本来あってはならないのです。
 
生体販売は
飼育放棄は
殺処分は
 
いつになったら
無くなるのでしょうか。
 
レスキューのような形で
愛護団体が差し迫った現場に
関わることが常態化すれば
不本意ながらも
不健全な共依存の関係が生まれ
本末転倒してしまいます。
 
殺処分ゼロの前に
飼い主に対しての審査機能を
生体を流通する側が
自助努力として持つことを
法規制出来たなら
生体販売や
飼育放棄の淘汰を目指すための
スモールステップとして
いたちごっこのような現状に
一石を投じられるのではないかなと
思ったりもするのです。
 
今や愛護団体も
玉石混交の時代です。
 
保護犬という言葉が
市民権を得つつある様に
ボランティアということの意識も
一般化されてきている今
感情に流されず
応援する団体を
しっかり選択するための
見識を持つ努力も
応援する側に求められる時代で
あるのかなと
思ったりもするのです。
 
いずれにせよ
愛護団体有りきの
社会ではなく
そうした場所自体が必要なくなる
社会を目指す時
現存する愛護団体が
すべきことや
あるべき姿が
はっきり見えてくるような
気がしています。
 
犬を助けることを
最終目的にせず
助けを必要とする犬自体が
いない社会を
最終目的にすること。
 
その為に必要なのは
動物や命や心に対して
真摯にそして平易に考え
語り合える場所を
作ることです。
 
そして、
それこそが
現代の愛護団体が真に
担うべきことなのではないかなと
思い至っている次第なのです。
 
動物を飼いたい時
飼っていて悩んだ時
一方通行的な
ご都合主義や経済優先の
安易な依存関係などではなく
正しい知識を提供し
終生飼育を誓い合う
飼い主さん達が
様々なものを
持ち寄り
シェアしながら
自助、共助、公助が
機能する場所になることが
大切かなと思うのです。
 
愛護をめぐる問題の根は深く
目先のことに追われてばかりいると
なかなか問題の本質に近づくことが
出来ません。
 
広く大きな視野に立ち
愛護を取り巻く社会の
全体像を俯瞰する時
愛護が必要なのは
動物達ばかりではないことに
気付かされます。
 
社会の中で漠然と
人々が求め続けているものが
愛護と言われる世界の
未来にあるのではないか。
 
多様性のある
ソーシャル・キャピタルを
地域や社会に創出しうる場へと
飛躍させる様な発想こそが
これからの愛護団体には
必要なのではないか。
 
そんな風に
思い至っている
次第なのです。