どんな事情があったにせよ
ただのネグレクトです。
保護犬たちは
本来ならすることのない
たくさんの苦労をして
生き抜いてきた子です。
彼らは
恨みつらみもなく
人間を憎むでもなく
ただ私達に添い遂げることを
望んでいるのです。
保護された彼らの愛情は
関わる人々の心を
逆に勇気づけてくれるほどに
深いものがあります。
一頭の保護犬の後ろには
保護主や預かりさんなどを
はじめとした
数多の人々の愛情が
今度こその
祈りを込めて
孤独であった
その命の
御守りのように
紐づいています。
やっと救い上げた
可愛い大切な命を
託すのに
慎重にならない訳が
ありません。
譲渡する側は
いつだって
寂しさを希望や喜びに変え
里親を信じて
その命を託すのです。
そして
万が一
その子や
里親さんに
何かがあれば
それこそ一丸となって
助けてくれるはずなのです。
そうした人達の
祈りや願いを
煩わしく感じるか
有難いと感じるか
価値観は様々ですが
自分が大切に思うものを
大切に思われて
嫌な気持ちになるなら
それが何故かを
考えるべきかもしれません。
保護犬が
特別なわけではありません。
保護犬を飼っているから
偉いわけでもありませんし
ペットショップで犬を迎えるのが
悪いわけではありません。
ただ自分に
動物を飼う資格が
あるかないか
本当に必要なことは
大切なことは何かを
冷静に
そして誠実に
考えない
幼稚な人間性に
腹が立つのです。
人に誠実でない人は
物言えぬ彼らにはもっと
不誠実です。
犬が好きだからといって
犬を幸せに出来るかは
正直、別問題です。
人間のエゴや
傲慢さで
繰り返される
飼育放棄や
里親詐欺や
逸走事故。
自分の憂さ晴らしのための
虐待目的で犬を買う人。
虐待目的で
安く犬を手に入れるために
里親に手を挙げる人。
吐き気がしますが
そんなヒトデナシが
普通の顔をして
いまも日本のどこかに
暮らしているのです。
今回の件に限らず
犠牲になるのは
いつだって
物言わず
無抵抗で
ただひたすらに
慈悲深い
彼らであることが
本当に居た堪れないのです。