

人は他人からの判断を受け入れることができるのに、
マリア・デュヴァルさんに批判的な人々はそうした機会を失っている。
超能力の検証は、超能力を理解し、超能力を示す人々を結び付けるべく行われてきた。
基本的に米国では政府主導で行われたが、1970年代中ごろでは実用的ではなかった。
ほんの少しならテレパシーらしきものが使えるという人は数多くいたが、
そのほとんどは証明されなかったのだ。
マリア・デュヴァルさんは、念力に関しては、
超能力の検証はごくまれにしか行われないと考えている。
そして、不注意に空中浮遊を行い、ほとんどの場合は痛手を負う。
スピリチュアルな事柄に懐疑的な人々は、科学の論理を引用して細かく調査するだろう。
懐疑的な人々は監視員としてすべての文化、人種、場所、
そしてすべての年齢層や性別に対して矛盾をもたらすのだ。
超能力の検証は、こうした現代における現象を対象に実施された。
これらの領域のうち、最も重要で一般的に話題になるのは、
直観で状態や安らぎを見出すという一定の効果に加え、
他の人の考えるのと同時に成果が現れることだ。
念力はよく知られているが、その代償は科学的調査からは考えられないほど高く、
細かく調べたり文書化したりするべきではない。
1995年には、超能力の実態を暴こうとして観衆の前で検証が行われた。
予知と千里眼は、どちらも予言に関係している。
霊能者の予知能力を測るテストは平均的なもので、たいていは一緒に行われる。
最後にテレパシーについてだが、これらの妙技が使える人も存在する。
最も一般的なのは、おそらくノストラダムスだろう。
超能力の検証においては、過去の実績や空中浮遊の素質がなくても、
寄せられた情報を集約すれば結論が出るかもしれない。
見せかけの迷惑な超能力者を効果的に見破るため、再検証もよく行われている。
マリア・デュヴァルさんによると、超能力はおもに4つのグループに分けられるという。
予想が偶然に当たったりして、超能力者とされている人たちもいるが。
多くの人は真っ先に霊感を思い浮かべるだろう。
超能力の検証の多くは、他の場所を探り当てたり、
手で触れることのできないものや場所を結び付けたりすることができるかを試すように考案された。
支持者は分かりづらい結果に終わる確率は低いと主張している。
予知を実際に行ってみせた人が、
観察者効果によって予知ができたと解説することは極めて少ないためだ。
しかし、より多くの応用科学者が立場を変え始めている。
優しさや柔軟性などの心の素質は、特定の事柄、時間、
空間などについて入手した情報のみに結び付くこともあり、
指示や元型が一切ない場面では、他人の視線が出来事を解決するそうだ。
予知は、細部まで気づけるようになって手に入る能力だ。
人々が利用できる超能力は、偶然の産物であることがしばしばある。
教育を受けた人たちがいる一方で、これはおそらく、かなり珍しい精神の働きといえるだろう。
千里眼は、従来の五感を使って、欠けている情報を識別できる人を指す。
念力だけは信じるという人たちもいるし、今まで最も信頼されてきた予知能力だろう。
極めつけはユリ・ゲラーだ。
彼は数々の特別な超能力テストでスプーン曲げを披露した。
そして千里眼、念力、予知、テレパシーなど、理解できない現象について解説を求められたのだ。

