第二十八帖 (七〇)
 またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、
さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。
戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、
われよしの神ではよう出来んぞ。
この方は元のままの身体(からだ)持ちてゐるのざから、
いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して
馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて
来ねばならんぞ、かなとは (カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。

今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、
みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、
早う改心して呉れよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、
神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、
神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、
身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、
このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。八月二日、ひつ九のか三。