郡山 アトリエさくらいろ 名前は生まれてくるとき自分でつけてきています

郡山 アトリエさくらいろ 名前は生まれてくるとき自分でつけてきています

このアトリエは子どもたちと子どもだった人たちの集い合う場です。
あなた自身を持ち寄って響き愛をしませんか?

今日は人生の目的を知るノベルセラピーからのノベルです


「あおぞら」

わたしはクラウド・トレイシー
42才
カメラマン
世界の雲を撮影している


出版社の方から、原稿依頼の話が来た。
ちょっと書くのは苦手
だから、フィルター越しの世界を収めることで、自分の観てる世界を表現してるんだと思ってた

とりあえず
仮の題名は「シーン①」
人生は旅の1頁の連続と感じるから、そう名づけてみることにした

ドキュメントタッチで、今までの体験や取材をしてきた写真を散りばめながら、書こうと、パソコンに向かう

さて、
いざ書こうと思うと、もう少し足してみたい箇所や、不明なところが出てきて、
旅に出た方が良さそうだと思って、取り急ぎ、イタリアのアジナーラ島に向かうことにした。小さな島だけど、カフェのオーナーさんと好きな映画のポイントが似てて、話していて心地よかったんだった。真っ青な透明な海に浮かぶ白い帆船がまぶしかった。そうだ、あのカフェでこの続きを書こう。たまには、わたしもゆっくりと何もしない日を過ごしてみたい。そう、自分を振り返って、綴ってみたい。


島には陽気な人々が集まり、週末の祭りにむけて、ちょっと慌しい感じ。その、島全体の熱気を感じながら、わたしは、砂浜の寄せては返す波打ちぎわを裸足で走った


わたしを呼ぶ声がした



あれから、半年が経った

あのとき、父が倒れたと連絡がはいり、わたしは、すぐ戻った

父の介護が始まった

たくましい腕に抱かれた幼かったときの思い出
庭仕事をするときの広い背中
大工仕事の得意な節の太い指や分厚い手のひら

今は

湿らせたタオルで父の背中を拭く

細い血管が浮き出る手の甲

こんなに小さかったっけ?


テレビのニュースを見ては、怒っていたあの父は、今は窓から見える空を見つめては、穏やかに笑う

父の好きな林檎を剥く

ふるさとの山の話をし始めた

お母さんに連れられて、隣村の知り合いの庭先で、お茶を飲んだこと
それが、すごく楽しみだったこと

兄弟がいっぱいいて、一番下の弟を背負って学校に行ったこと

学校さぼって山の木の実を食べたこと
ばれて父親に火花散るほど殴られたこと

お母さんと出会ったときのこと


そのときは
すごく照れくさそうだった

どこが好きだったの?と聞くと
忘れたって


空に帰ってからは
いいことしか思い出せないって

戦争や不景気や
いろんなことを2人で必死でくぐり抜けてきたこと

それが宝だったなぁ


って


毎日おんなじ話を聞くはめになることもあれば、

そんなことまでしたの?という武勇伝を聞かされることもあった


わたしも子どもに思いきり戻って
あのときのお父さん嫌いだったんだよと
すっぱり言うと
俺も若かったって

逆算したら
まだ父は36才

わたしよりずっと年下ね

ふふふ





そうして


長い月日の写真には
映らないいろんな景色が見えた



この日々が宝物だと
わたしは
思った


日常の中に溢れた息づかい

愛しさに
涙がはらりと落ちた



旅の中にも人生が煌くけれど

ありふれた
ささやかなこの瞬間に

わたしは
埋もれることなく
精一杯生きたいと思った






それから

5年の月日が経ち、わたしは地域の小さな図書館を預かることになった

さまざまなケアステーション
いろんな人々が集まり、小さいけれど温かいコミュニティが生まれている。

そこで毎週月曜日はみんなが自分史をそれぞれ編むのだ。

振り返り、思いを刻んでいく。

言葉だったり
写真だったり
料理手帖だったり


図書館の庭には大きなポプラの木が立ち、暑い日差しから守り、木々の間を抜ける爽やかな風を運ぶ。

どっしりとしたポプラに、わたしは父を思い出す


おしまい



この話を編んでみて
改めて 私は父が大好きなんだと思った

そして
ノベルセラピーを受ける前に
こんな話が私の中から飛び出すとは
ほんとに思ってもみない

いつもそう


ノベルセラピーの素晴らしさは
自分のインナービーイングの広さを発見できること
多分無限
その中から今必要なメッセージに
アクセスできる
それを受け取ることができる

わたしの処方箋になる


ともすると

誰かを癒すノベルになるかも



わたしはノベルセラピストになって
ほんとによかったと思う🌸